こちらでの生活にもいい加減慣れてきて、今日は寮からのバスを利用し一人で買い物にも行ってきた。
カフェテリアで食べたい食事を頼むことすらもおぼつかなかった頃が懐かしくもある。
まだまだ慣れないのは、買い物する時に小銭を出すこと。
あと、まだ公営のバスに乗ったことがない。利用者はほとんど移民労働者なので決してバス内の治安はよくないらしく、一人で乗る気にはなれない。
何よりも大きいのはクラスの友達の存在で、特に女子は住むところもクラスもいっしょということでよく助けてもらう。
下手すれば、同じバスで学校へ行き、一緒に昼食をとり、同じ授業を受け、同じバスで寮へ帰り、また一緒に夕食をとることになる。
寮生活をしたことがなかったので、なかなかに新鮮だ。
私の所属しているランゲージセンターには世界各国から留学生が集まっている。
ざっとあげてみると、日本・韓国・中国・台湾・ベトナム・インドネシア・マレーシア・インド・イラン・タジキスタン・グルジア・アルメニア・ナイジェリア・ベニン・ポーランド・イタリア・スペイン・チェコ・ブルガリアなど。
こういう環境で、自分の「日本」というバックグラウンドを相対化せねばならないのは私に取ってよい経験なのだと思う。
打ち解けやすかったのはやはりアジア人で、特に韓国人の友達が多い(クラスが同じというのもあるけれど)。
そう書いてしまうと「アジア人はアジア人同士で固まる」と揶揄されてしまうかもしれないが、これはある意味必然だと思う。
近い文化を持った人々が集まるのは当然のことではないだろうか。
生活様式も宗教も似通っているのだから、理解するのは容易だし、相手に合わせるのも容易なのだ。
また、話を聞くということも大事なのだと思った。
タジキスタン人の友達から、「タジキスタンはアラブともイランとも違う独特のイスラーム文化があり、国民の大半はムスリムだけど、生活様式はロシアに近い」という話を聞き、なるほどと思った。
相手がムスリムだと知っていれば配慮すべきこともわかるし、またこちらのバックグラウンドを伝えておけば、ギャップが明らかになってしまったときにすりあわせることが出来る。
授業で学生が二人選ばれ、お互いの国についてトークするというデモンストレーションをやった。
どんな言葉を話しどんな民族が住んでいるか、どんな生活をしているかなど、またその国の歴史など、聞いていて面白いことがたくさんあった。
私は台湾人の男子とのトークだったので、正直なところ面白みに欠ける面はあったような気がする。
そのトークの後、ブルガリア人の学生から「相撲の琴欧州知ってる?」と質問された。
乏しいアラビア語で「琴欧州知ってる!日本で本当に有名よ」と答えたが、見知らぬ国とそういう風なつながりがあるのは嬉しい。
こちらに来て、日本というものがとてもポジティブに捉えられているということがよくわかった。
先生も、日本のコンピュータは有名だよねとおっしゃっていたし、先程エレベーターで出会った女子学生に日本人だと自己紹介したら、「私、日本大好きなの!」と喜ばれた。
自分の母国が世界中の人に知られており、かつポジティブに捉えられていることについては、知っておいて損はないと思う。
一期一会の人とはうまくいくこともあるから。
ただ、不快なのはこのアジア人の顔立ちが目立つせいか、つけられたり好奇の目で見られたりすることだ。
買い物を終えてバスを待っていたとき、明らかにナンパをしたそうにしている男性にイライラした。
日本人の友達と二人で歩いていてもつけられたことがあるので、本当にこの国では一人で出歩けない。
だからこそ、「クウェートの社会」という枠内よりも、ランゲージセンターのグローバルである意味画一的な雰囲気に安心感を覚えるというのはあると思う。
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