2014ー15年度クウェート政府奨学金を受け、クウェートにてアラビア語を学んだ記録。アラビア語やクウェート生活について。
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2014年10月4日土曜日

犠牲祭休暇をのんびり過ごしながら Oct 4, 2014 (Sat)

犠牲祭休暇2日目。
特にこれと言って何かしたわけでもないけれども、犠牲祭が一体何なのかあまりわかっていないことに危機感を抱いた。
羊を屠る、くらいの事前知識しかないのはさすがにまずい。
Wikipediaなどで簡単に調べたので、ブログにまとめてみる。

犠牲祭・イード(عيد الأضحى)
イスラームの祝日。
アブラハム(イブラーヒーム)が息子のイシュマエル(イスマーイール)を神に捧げたことを記念する行事。
これについては旧約聖書の創世記にも記述がある。

神はイスマーイールの命を救う代わりに羊の犠牲を受け入れたので、犠牲祭では羊を屠る儀式が行われる。
もともと、犠牲祭はハッジ(巡礼)の最終行事として行われるが、ハッジに参加しないムスリムも羊を捧げて犠牲祭を祝う習慣がある。

もちろん私はムスリムでもないし、今後イスラームに改宗する予定もないので、私にとっては「休暇があってラッキー」くらいの感覚ではあった。
そのため寮から一切出ていないので、実感と言えばアザーンがいつもより長いなぁと思った程度だった。
あと、私は羊の屠殺シーンを見たくなかったので、出歩かないのも賢明だったかもしれない。
だが、この国にいて休暇とばかりに遊んでいるのも馬鹿らしいので、こんな文章を書いている。

イードを祝う言葉として、「イードムバーラク(عيد مبارك)」という表現をよく使う。
Facebookではこの挨拶やイードのポストカードの画像が盛んに投稿されていた。

外国人で異教徒という身だと、いくら日本でアラブ文化に親和的な環境にいたと言っても、文化差に面食らうことがたびたびある。
それはこれまでも文章で紹介してきた通り、男女の空間をきっちり分けることだったり、女性が身体をきちんと隠したりするといった、ごくごく日常的な場面だ。
日本で井筒利彦の『イスラーム文化』を読んだ時に「イスラームは聖と俗を分離しない」という記述があったのにはっとしたのを思い出す。
キリスト教などでは教会や寺、神社を聖域とし、その場で宗教的行事を行う。
イスラームでは日常に聖が混在しているので、日常が全て宗教的な要素を含むのだ。
だから宗教的な考え方に基づき、空間を分けたり女性がアバヤを着たりする。

それをきちんと理解せず、「イスラームだから女性は髪を隠さなきゃ」と短絡的に考える日本人のなんと多いことだろう。
もちろん、私にも受け入れられないイスラームの文化はある。
逆もまた然りだ。自分の意見と立場と信条をわきまえた上で、誠実な振る舞いをせねばならないと思った。

先日、携帯電話に不具合がありショップを訪れた時のことだ。
店員がエジプト人の男性だった。残念ながら、会話は英語。彼のアラビック・イングリッシュに四苦八苦しながらの会話だった。

私が日本人だという話をすると、「君たちはカツを食べるのか」と尋ねられた。
「カツ?豚肉のことだよね?」と確認するとそうだと言うので、「そりゃ食べるよ、だって私はムスリマじゃないもん」と答えると、「うわー本当か、ありえない」という反応だった。
そんなものだと思う。自分たちの文化に否定的なまなざしを突きつけられることなんていくらでもある。
それに対して柔軟に、なるべく違う文化を持つ人々を傷つけない対応の出来る人間でありたいと思う。

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