2014ー15年度クウェート政府奨学金を受け、クウェートにてアラビア語を学んだ記録。アラビア語やクウェート生活について。
noteに投稿した記事に加筆修正を加えて掲載しています。

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2014年11月26日水曜日

少しだけ壁を乗り越えた話 Nov 25, 2014

日本から手紙が届いていたり、友達が話を聞いてくれたり、いろいろなことがあった一日だったけれど、今日の一番嬉しかった話を。

「短めの新聞記事を読んで、それについて記述する」という課題が出た。
アラビア語で読まなければならないので読みやすそうなテーマの物を探していたら、何となく目についたのがアルジャジーラの記事。
「エジプト大統領シーシがパレスチナ支援軍派遣の準備が整ったと発言した」という趣旨だった。
しっかり記事の内容を理解しておかないとまず文章は書けないし、第一授業でどうなるか怖いので、とりあえず訳した。
これは少々の難がありつつも一応クリア。

いざ、自分の意見を書こうとしたときである。
そこで私はようやく気づいた。この記事を選んだということは、クラスメートの前でパレスチナ問題について何らかの意見を述べなければならないということだ……

先生はアラブ人だし、クラスメートの中には敬虔なムスリムもいる。
そういう人たちの前で、私はどんな言葉を選んで、どんなことを言えばいいのだろう。
知らず知らずのうちにその人たちの気持ちを傷つけたりしないだろうか。
日本では、パレスチナ問題についていくらでも意見を言えた。
だが、ここでは円滑な人間関係を築くために、言わない方がいいこともある。そんなこと、私にだってわかっている。

イスラエルを擁護するような意見を書く必要のない記事だったのも幸いして(もっともガザ攻撃以来、私がここ最近のイスラエルを擁護するような気持ちになったことはないが)、とりあえず宿題の文章は完成した。
でも、やっぱり不安だったので、先生に一言相談することにした。

授業が終わってから先生に声をかけた。
いつもはアラビア語で話すけれど、込み入った私の気持ちをアラビア語で説明するのは難しかったので、「英語で話してもいいですか」と断って、自分の気持ちを話した。

私はパレスチナ問題に関する記事を選んだ。
もちろんパレスチナ問題がアラブ世界において重大な問題であることは理解している。
もしかしたら、私の文章の中に不適切な発言があるかもしれない。
だが、私は自分の考えを正直に書いたし、アラブの人々を傷つけるような意図は断じてない。

先生は「パレスチナ問題か、いいね」とおっしゃって、私の話を聞いた後、「大丈夫だよ、これは語学の勉強だから、思ったことを書けばいいよ。そんな風に思ったりしないから。じゃあ、ここからはアラビア語で話そうか。」
そう言って、アラビア語でもう一度同じことを繰り返した。
私はありがとうございますと伝え、冬休みの話を少しして、教室を出た。
先生は、あなたに良いことがありますようにという挨拶を私にしてくださった。

日本では、アラブでパレスチナの話は避けた方がいいと言われたこともあった。全く持って納得できる意見だ。
下手なことを言ってしまうと、ものすごいバッシングを受けることになる。バッシングをする側も、間違いなく傷つく。
それほどセンシティブな話題だし、なぜパレスチナ問題に関する記事を選んでしまったのか、今思えばその時の自分は冷静さに欠けている。

だが、そんな風に避け続けてもいられないのかもしれない。
今日、不意にそういう時が来てしまった。

それをこういうふうに受け止めてもらえたことに、本当に感謝している。
出来の悪い学生にもいつも平等に接してくださって、全員が理解するまでゆっくりと説明してくださるこの先生のことが私は本当に好きだ。
だが、それ以上に、「アラブ人のアラビア語の先生」として見ていた彼に私のこう言った気持ちを伝え、彼からそれに対する言葉をかけてもらったことで、何となく壁を感じていた「異文化」なるものと初めてつながることができたような気がして、なんだか安心してしまった。
後になってから、そんなことを思って涙が止まらなかった。

「私はあなたの気持ちを傷つけようだなんて決して思わない。その上で、私の考えを素直に話します。」
そう伝えた上で話せば、きっと壁も乗り越えて行ける。
私たちは、境界を越えているように見えても、乗り越えられない壁を心のうちに抱えてはいないだろうか。

日本にいたとき、アラブ世界は3人称だったが、クウェートにいる今、アラブ世界は2人称だ。
私はアラブに「あなた」と呼びかけ、対話する。

だからこそ、アラビア語でそういう風に言えるようにならなければと思う。
そして、そういうことが出来る人間でありたいと思う。
幸か不幸か、私が選んだのはアラビア語だから、「日本人」という生まれ持った性質とともにこの能力を生かすことの出来るような人間でありたいと、そう願っている。

2014年11月24日月曜日

銀行口座の開設 Nov 24, 2014 (Mon)

市民IDをなんとか取得したので、次は銀行口座を開設せねばならない。
大学からの奨学金(もといお小遣い)は口座振り込みになるとのことなので、ランゲージ・センターの先生から「なるべく早く口座を開設して番号を知らせろ」と急かされている。

余談だが、私が受給しているのは「クウェート政府奨学金」であり、奨学金の出所は「クウェート政府」である。
それなのになぜ「大学からの奨学金」と表現できるかと言うと、この国の豊かな財源によりクウェート大学は運営されており、一般の学生も学費は無料であるからだ。
大学の財源イコール政府の財源なのである。さすがレンティア国家だ。

というわけで、私は「今週は忙しいしまぁ、まだ、いいや……」と思っていたら、急に隣室の日本人が作りに行くと言い始めて、ついて行くことにした。

寮の受付でおすすめの銀行を3つほど教えてもらい、バスを出してもらって(そのあたり本当に至れり尽くせりだと思う)いざ銀行へ。
最初に連れて行かれた銀行は寮から徒歩5分ほどで、「いやそれくらい歩けよ」と例のごとく思ったが、入ってみると「100KD(約4万円)必要です」と言われたので、断念して別の銀行へ。
バスを10分ほど走らせ、いつも行くスーパーのあるケイファーン・ジャムイーヤというちょっとしたショッピングセンターへ。

クウェートにももちろんいくつか有名な銀行があり、代表はクウェート・ナショナル・バンク(NBK)だが、今回は外国人も口座の開設がしやすいというクウェート・フィナンシャル・ハウス(KFH)で口座を作ることにした。
これら2つの銀行は、ジャムイーヤの中で隣り合っていた。

銀行も男性専用のフロアと女性専用のフロアに分かれていた。
私たちは女性専用のフロアへ。
かなり長いこと待たされてしまったが、その間アラビック・コーヒーとチョコレートをいただいた。

女性専用のフロアの従業員はもちろん女性だけだ。
KFHのケイファーン支店はとても豪華で、雰囲気は日本で一度だけ訪れた新生銀行のようだった。

口座開設については英語で説明してもらった。
クウェートは英語が通じるのが本当にありがたい。英語の書類も準備されていたようだった。
「グローバル化」に必要なのはこういうところだと思う。英語が通じるのはクウェートの長所だ。この点に関しては日本も見習うべきではなかろうか。

奨学金受給を目的に口座を作ることを伝えると、学生証と市民IDを提示するように言われ、必要書類に署名をし、引き下ろしやネットバンキングの説明を受けて終了。必要経費は10KDで、そのうち5KDは口座に振り込まれるとのことだった。
日本でもネットバンキングは使っていなかったしクレジットカードは別に持っているので、今回はそのサービスは付けなかった。

クウェートの至る所に様々な銀行の小さなATMが設置されているが、違う銀行のATMでも0.5KDの手数料を払えば引き下ろしが可能だそうだ。
なかなか良い仕組みだ。

カードなどの受け取りは数日後。

2014年11月19日水曜日

仲良しのクラスメート Nov 18, 2014 (Tue)

クウェートに来て、いろいろな人と出会った。
その中で一番日頃から接する機会の多い人は、何と言ってもクラスメートである。

現在、4クラスが開講されている。
当初は2クラスだったが、学生が増えすぎて中級レベルのクラスを後から2クラス増設することとなった。
私は上から2番目の中級クラスに籍を置いている。
何度か書いた通りだが、このクラスの日本人は私だけだ。アジア人がやや多いが、世界中から学生が集まっているクラスである。
もっとも、常に一段階レベルを下げたいと友達に愚痴っているが、レベルを下げてしまったらもう上のレベルに戻ることはできないだろうととりあえず耐えることにした。
一段階レベルを下げたらそれはそれで、また日本でやったのと同じ文法の勉強をしなければならないので、クラスメートの力を借りながらがんばろうと思っている。

今日はクラスメートの誕生日だった。ケーキを準備してささやかなパーティーを開くことにしていた。
女子寮近くのケーキ屋さんで巨大なチョコレートケーキを準備し、ハッピーバースデーを歌って一緒に食べるという簡素な物だった。
男女がいっしょに席に着ける場所は授業のあるランゲージ・センターか屋外のテラスくらいしかないので、テラスで他の女子たちと待機する。

そして、事前に仕込んでいた通り、図書館で勉強していた誕生日の彼を「そろそろ昼ご飯行こうぜ〜」とテラスまで連れ出してもらう。
どの程度サプライズだったのかわからなかったが、とりあえず喜んでもらえてよかった。
彼の言葉の「ハッピーバースデー」を他の友達に教えてもらい、みんなで歌った。

また別のお話だが、韓国人のクラスメートとケーキを買いに行った後にアイスが食べたくてマクドナルドに寄った。
その友人と前にマクドナルドへ来たとき、40円くらいでソフトクリームが買えたのを覚えていたのだった。
すると、マクドナルドすぐそばのボーリング場にいた韓国人の男性に声をかけられ、なんとアイスをおごってもらったのだ。
彼はビジネスでこちらに来ていて、日本滞在経験もあり日本語がとても上手だった。
また会おうという話をした。

思えば、私はクラスメートに本当に恵まれてきたと思う。
高校まではもちろん「クラス」というものが存在してきたわけだが、大学に入学してからもアラビア語を専攻する学生の数は30人未満なので、それが「クラス」のような位置づけで日本での大学生活を過ごしていた。

クウェートの今のクラスがこれほど仲良くなったのは、担当の先生がとても真面目で厳しくて、毎回多くはないが大変な宿題が出るのに一同辟易しており、「誰か一人を敵にしたら仲良くなる」という現象が起こっているだけのことかもしれない。
そんなことで仲良くなるなんてまるで子どもみたいだが、奨学金をとり本国での学業をいったん休止してこちらに来ている私たちにとって(私も大学を1年休学しての留学だ)、クウェートでの一年はある意味将来のために前に進むこともなくゆっくり出来る時間であって、みんな心に余裕があるのかもしれない。

誕生日ケーキをいっしょに買いに行った友人と、「今のクラスメートはみんなスマートで優しくて素敵な人たちだよね、次のセメスターもみんなと一緒に勉強したいから、このクラスに残れるようがんばろうね」という話をした。
留学って、もっと寒々しいものなのかしらと思っていたので、励まし、助け合い、心から信頼できる仲間に出会えたのが本当に嬉しい。

2014年11月17日月曜日

市民IDの取得 Nov 16, 2014 (Sun)

クウェートに滞在するために市民IDを取得しなければならない。
クウェートにおいて市民IDは何よりも大切な物で、パスポートをなくしても市民IDはなくすなと言われるほどだ。
これが身分証明書となり、ケータイのsimカードを買うのにも、病院へ行くのにも、とにかく何をするのにも必要だ。

市民IDを取得する前に在留許可を取得した。
在留許可の取得には健康診断と指紋の採取が必要だった。
こちらもいろいろと大変だったが、同行してくれたモーリタニア人の学部生が大いに助けてくれたおかげで、なんとか終了できた。

あとは女子寮が全ての手続きを斡旋してくれていたので、待つこと1ヶ月半ほどで在留許可のカードが届いた。
これは「イカーマ」と呼ばれ、イカーマは今後ビザと同じ役目を果たす。

イカーマを取得した後に取得せねばならないのが、悪戦苦闘中の市民IDである。
市民IDはビターカ・マダニーヤと呼ばれる。

イカーマが寮に届いた後、寮のバスを予約して市民IDの発行に必要な物を揃えに向かった。
まずはいつものスーパーへ行き、市民ID発行専用の封筒を専用の販売機で購入。
この中に必要な書類が入っている。

そして、もう一度血液検査へ。
……と思ったら、ドライバーが違う場所(イカーマ取得のための健康診断所)へ行ってしまったため、寮に電話して再度バスを出してもらうことに。
バスを待っている間にそこに来ていた人と話してみたところ、なんでもイカーマ取得後の血液検査は血液型を判定するための物。
事故など何かあった時に血液型が個人を判別するのに重要なのだそうだ。

気を取り直して、本来の行き先へ。
なんと、寮から徒歩20分ほどの病院が本来の行き先だった。ここなら歩いていけるのでは……と思ったが、クウェートのような車社会でお金持ちの国で、歩いていくという発想はない。
先程の健康診断所とは違いとても清潔な病院だった。実習中の学生さんと雑談などしつつ、指先から血液を採取され、スーパーで買ってきた封筒の中に入っていた書類に必要事項を記入してもらった。

それから数日経って、今日。
どこへ行くのか今ひとつわかっていなかったが、イカーマ取得の時に助けてくれたモーリタニア人の友達が偶然一緒だった。
彼女は市民IDの取得が初めてではないということで、とりあえず安心して彼女についていく。

道中、一緒に血液型の検査をした台湾人の学生が、病院でもらえるスタンプがないことに気づいた。
おそらく検査をした人が忘れたのだろうということで、どうなるかわからないがとりあえず市民IDの申請所に行くことに。

申請所は寮のあるケイファーン地区からかなり離れており、クウェートらしい危険運転に命の危機を感じつつ向かった。
到着すると番号札をもらい、順番待ち。
この間に男子寮から来ていた同級生と偶然会った。

自分の順番が来ると、封筒、血液型を記した書類、在留許可の書類、パスポートのコピー、証明写真2枚を提出。
必要書類にサインをし、2日後にまた来たら発行機で自動発行できるから、と言われた。
書類の不備もなく、無事に終了。

血液型の書類にスタンプがなかった台湾人の友達はなんとか切り抜けたとのことだった。
それで市民IDを発行しても大丈夫なのか……と思うが、これはある意味クウェートのいいところでもあるかもしれない。

一同で寮に帰り、寮母さんに次のバスの予約をどうするのか尋ねたところ、おそらく2〜4日だろうが何日かかるかわからないのでまた連絡するということだった。
こんどはまた同じ申請所に行き自動発行機を使うだけなので、そう難しくもないだろう。
バスの予約さえできれば一件落着だ。なんとかクウェートに滞在できそうでほっとしている。

2014年11月12日水曜日

NHK朝ドラ「おひさま」を久々に見て Nov 8-11, 2014

なんだかうまくいかない日々をしばらく過ごしていた。

そういうとき、私はとりあえず音楽を聴けば何とかなるだろうと思っている。
他の国に留学している友達が「この料理は私にはなじみのない物だけれど、ここの人たちにとっては故郷と結びついているものなのかなぁ」と書いていた。
私に取って日本の料理やとりわけ広島のお好み焼きは故郷であったり、私の人生そのものに深く結びついているが、音楽もまた私の人生を語る上で書かせない物だ。

だから、つらい時はとりあえずたくさん音楽を聴いて、音楽と共に一つの答えを探すことにしている。
「音楽と言葉だけは裏切らない」というのが、私が21年間の人生で得てきた数少ない確信のうちの一つだ。

それで、宿題の少ない休日で、体調もそれほど良くなく予定を入れなかったのをいいことに、youtubeを駆使して音楽の記憶を辿っていた。
当初は好きなバンドの曲をひたすら聴いていたが、ネットサーフィンのようなことをしているうちにNHK朝ドラの曲を聞きたくなってしまった。
だから、検索して聴いてみた。

高校のとき、朝の7時半からNHKの朝ドラが放送されていた。
それを見終わってから学校へ行くとちょうど良かったので、母といっしょによく見ていた。
それで朝ドラの音楽を毎日聴いていたから、特に気に入っていたものの主題歌などはよく覚えている。

今でこそ、一人暮らしを始めて朝にテレビを付ける習慣がなくなってしまった(もともと朝に朝ドラ以外のテレビを見るのはきらいだった)が、こういう風に音楽が私の人生の中で密かな存在感を持ち続けているらしい。

なんとなく選んだのが「おひさま」だった。

このドラマ自体はごく地味な物だと思う。
「陽子」という女性の人生を描いた物だが、他の「あまちゃん」などに比べるとテーマ性に乏しく、ぱっとどのようなドラマなのか説明するのが難しい。
だが、私はこれが好きだった。何故好きなのか、当時はわからなかった。

今になって、私はこのドラマの中に私に欠けている物を見いだしていたのだとようやく気づいた。
その欠けている部分は今の私にとって重大な問題で、日本を離れて留学生活を送る中で改めて別の角度から向き合おうとしているものだ。
高校生の当時は、何か問題があるのだろうと漠然と考えていたけれども、何が問題なのかわからなかったしわかろうともしなかった。

「おひさま」に出てくる人物たちがあまりにもひたむきで、彼らの生活を彼らなりに精一杯行きている姿に心を打たれた。
昭和初期の田舎のことだから、今の私よりもよっぽどアクセスできる情報の数も少なくて、生きている世界も狭いことだろう。
そんな中で、愛する人と共に一生懸命生きる姿を見て、涙が止まらなかった。

「フィクションなんて」とバカにするする人もいるだろう。
しかし、フィクションだろうとなんだろうと、目に見える物語の存在が私たち自身の物語を助けていることに、なぜ気づかないのか。
私たちは物語に自分の物語を投影し、時に涙しながら生きているのだ。

そんな物語があること、そして物語と向き合う時間があることに感謝しようではないか。

「おひさま」を見ていて、このドラマは昭和初期の日本の様子を外国人の日本語学習者向けに紹介するのにいいなとか、この雰囲気はなんとなくクウェートに通じる物もあるなとか、日本にいた頃には思いもしなかったようなことを考えるようになった。
そういう物の見方をするようになったというのも私の物語の一部であり、これからきっと重要な一部になっていくのだろうけど、今はそれに戸惑いを感じているのだということもわかってきた。

2014年11月1日土曜日

バス Oct 31, 2014 (Fri)

休講で一日暇になったので、クラスメートといっしょに買い物へ行った。
行き先は、クウェート最大のショッピングモールAvenuesである。

どうもクウェート大学の学生はクウェートの公共バスに無料で乗れるらしく、最近ようやくスクールIDをもらえたので、バスを試してみようということになった。
同行していたのは、韓国人の女子学生2人。二人ともバスに乗るのは初めてとのことだった。

寮から出て、道を2つ渡る。
クウェートには歩行者向けの横断歩道がほとんどないので、車の切れ目を注意深く渡って行かなければならない。
工事現場も構わず歩いて行くので、道を渡るとだいたい靴が泥で汚れてしまう。

道を渡ると、人がたむろしていた。
特に表示などは何もないが、そこがタクシー待ちスペース兼バス停である。
たむろしている人はインド人の労働者ばかりだろう。

ただ立っているだけでバスが止まってくれるわけがないというのがこの国の通例なので、タクシーを止めるのと同じ要領で目的地へ向かうバスを止める。
一応、Avenuesへ行くかどうかを運転手に尋ね、バスへ乗り込んだ。

バスに乗っているのはほとんどがインド人労働者だった。
運転手もおそらくインド人だろう。

バスは今までに通ったことのない道を通過して行った。
建物も本当にボロボロで、クウェート人の民族衣装を来た人の姿は一切ない。
友人は「ここ、たぶんインド人しか住んでないと思う。Oldな地区だよね」と言っていた。
ここはインド人しか住んでいないのに、看板の表記は全てアラビア語と英語の表記だ。
それを見て私は友達に「面白いし、strangeだよね」なんて話していた。
 
バスの車窓から。
私の知っているクウェートは、高級住宅街と近代的なビル群、時々ぼろぼろな建物くらいだったので、
これを見てたまげてしまった。

 

考えてみれば、このバスが移民労働者の居住地区を通過して行くのはごく自然なことだ。
クウェートは車社会で、大学生が自分の車を運転して通学するのは当たり前。
車両しか通行しない前提で街が作られているので、歩道はあまり見当たらない。
この公共バスは車を持たない移民労働者のためのバスであり、彼らの生活区域を通るような路線を走る理由はそういうことだろう。

バス自体もボロボロで、少々不安だったもののなんとか目的地に到着。
バスに乗ること自体は大丈夫だが、一人で乗らない方がいいねと友達と確認し合った。

Avenuesは近代的なショッピングモールであり、IKEAやH&Mも入っている。
私は冬服をあまり準備していなかったので、カーディガンや上着などを購入した。
日本と全く変わらない調子で買い物が出来、なかなか楽しかった。

平日であるにもかかわらず、人がかなり多かった。
もちろん、多くがクウェート人で、おそらくヨーロッパ人だろうと思われる人々も買い物を楽しんでいた。
家族連れも目立った。その家族にひっそりとくっつくインド人やフィリピン人と思しきナニーさんの姿がやたらと目についた。

夕ご飯を食べて帰ろうと話していたとき、たまたま一人で来ていたスペイン人男子のクラスメートに出会った。
合流して、4人でハンバーガーショップに入ることにした。

彼のスペインの話を聞きつつ談笑していたら、店員さんに話しかけられた。
「みんなどこから来たの?」と尋ねられたので答えると、「わぁ、いろんな国から。僕と同じだね、僕たちはファミリーだ」と言われた。

ハンバーガーショップなどの店員は、おそらくほとんどが東南アジア人だ。
彼の言葉には何となく好感が持てたし、クウェート人でもインド人でもない外国人と出会って、私自身もなんとなくシンパシーめいたものを感じた。

帰りはタクシーを使うことにした。
割り勘すれば一人200円くらいで乗れるので、日本よりも手軽にタクシーを使っている。
タクシーの運転手さんも、インド人かバングラデシュ人かパキスタン人だ。

「外国人にもいろいろある」ということ。これについては今後詳しく掘り下げてみたい。