2014ー15年度クウェート政府奨学金を受け、クウェートにてアラビア語を学んだ記録。アラビア語やクウェート生活について。
noteに投稿した記事に加筆修正を加えて掲載しています。

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2014年10月28日火曜日

相対化 Oct 27, 2014

こちらでの生活にもいい加減慣れてきて、今日は寮からのバスを利用し一人で買い物にも行ってきた。
カフェテリアで食べたい食事を頼むことすらもおぼつかなかった頃が懐かしくもある。
まだまだ慣れないのは、買い物する時に小銭を出すこと。
あと、まだ公営のバスに乗ったことがない。利用者はほとんど移民労働者なので決してバス内の治安はよくないらしく、一人で乗る気にはなれない。

何よりも大きいのはクラスの友達の存在で、特に女子は住むところもクラスもいっしょということでよく助けてもらう。
下手すれば、同じバスで学校へ行き、一緒に昼食をとり、同じ授業を受け、同じバスで寮へ帰り、また一緒に夕食をとることになる。
寮生活をしたことがなかったので、なかなかに新鮮だ。

私の所属しているランゲージセンターには世界各国から留学生が集まっている。
ざっとあげてみると、日本・韓国・中国・台湾・ベトナム・インドネシア・マレーシア・インド・イラン・タジキスタン・グルジア・アルメニア・ナイジェリア・ベニン・ポーランド・イタリア・スペイン・チェコ・ブルガリアなど。
こういう環境で、自分の「日本」というバックグラウンドを相対化せねばならないのは私に取ってよい経験なのだと思う。

打ち解けやすかったのはやはりアジア人で、特に韓国人の友達が多い(クラスが同じというのもあるけれど)。
そう書いてしまうと「アジア人はアジア人同士で固まる」と揶揄されてしまうかもしれないが、これはある意味必然だと思う。
近い文化を持った人々が集まるのは当然のことではないだろうか。
生活様式も宗教も似通っているのだから、理解するのは容易だし、相手に合わせるのも容易なのだ。

また、話を聞くということも大事なのだと思った。
タジキスタン人の友達から、「タジキスタンはアラブともイランとも違う独特のイスラーム文化があり、国民の大半はムスリムだけど、生活様式はロシアに近い」という話を聞き、なるほどと思った。
相手がムスリムだと知っていれば配慮すべきこともわかるし、またこちらのバックグラウンドを伝えておけば、ギャップが明らかになってしまったときにすりあわせることが出来る。

授業で学生が二人選ばれ、お互いの国についてトークするというデモンストレーションをやった。
どんな言葉を話しどんな民族が住んでいるか、どんな生活をしているかなど、またその国の歴史など、聞いていて面白いことがたくさんあった。
私は台湾人の男子とのトークだったので、正直なところ面白みに欠ける面はあったような気がする。

そのトークの後、ブルガリア人の学生から「相撲の琴欧州知ってる?」と質問された。
乏しいアラビア語で「琴欧州知ってる!日本で本当に有名よ」と答えたが、見知らぬ国とそういう風なつながりがあるのは嬉しい。

こちらに来て、日本というものがとてもポジティブに捉えられているということがよくわかった。
先生も、日本のコンピュータは有名だよねとおっしゃっていたし、先程エレベーターで出会った女子学生に日本人だと自己紹介したら、「私、日本大好きなの!」と喜ばれた。
自分の母国が世界中の人に知られており、かつポジティブに捉えられていることについては、知っておいて損はないと思う。
一期一会の人とはうまくいくこともあるから。

ただ、不快なのはこのアジア人の顔立ちが目立つせいか、つけられたり好奇の目で見られたりすることだ。
買い物を終えてバスを待っていたとき、明らかにナンパをしたそうにしている男性にイライラした。
日本人の友達と二人で歩いていてもつけられたことがあるので、本当にこの国では一人で出歩けない。

だからこそ、「クウェートの社会」という枠内よりも、ランゲージセンターのグローバルである意味画一的な雰囲気に安心感を覚えるというのはあると思う。

2014年10月25日土曜日

面白かった言葉たち Oct 25, 2014

箇条書きにて、失礼いたします。


*バスで女子学生にアラビア語で「このバスで私たち、シュウェイフに行ける?」と尋ねてみたら、「イー」という答えが返ってきた。これはクウェート方言で「はい」。フスハー(現代標準アラビア語)なら「ナアム」、エジプト方言などでは「アイワ」と返ってくる。

*寮の受付の女性が電話を取り、すかさず「アイワ」と応じていた。彼女はそのあたりの地域の言葉を話すのか、と納得。

*授業にて、単語の意味を問われた他の学生がアラビア語で「意味は……わかりません☆」と答える。先生、大爆笑。

*韓国人の友達と、「英語も勉強しなきゃいけないし、英語話そうか!」という協定を結ぶ。ここに来ている留学生はほとんどの人が流暢な英語を話す。ちなみにその友人はエジプト方言が上手。

*バングラデシュ人タクシードライバーの英語が聞き取れなかった。大した話はしていなかったはずだが……

*能動分詞と受動分詞の使い分けができず、苦しむ。

*ベトナム人の友人たちに休日出くわすと、必ずアラビア語で「今日何してた?」「これから何する?」と聞かれるようになったので、この手の受け答えは上手になった。先程、夕食を食べていたら、案の定。

*待ち合わせのために日本語で電話をかけていたら、ピーという音と共に話が英語に切り替わった。「???」となっていて、よくよく話を聞いてみたら、違う友達が私が話している途中に電話をかけてきたらしい。

*非日本語ネイティブの日本語。話すのはとても上手なのだけど、文章を書かせると助詞の間違いが目立つ。その点、文法をきっちり勉強している人は間違いが少ない。

*高校の時に日本語を勉強していたと言う韓国人に日本語を教える。「です・ます」「だ・である」の違いを教えるのに苦しんだ。

*クウェート人はエジプト方言を理解できるらしい。

*私は典型的な日本人なので、外国語は読み書きは出来ても話すのが苦手。なのでアラビア語も全く上手ではないが、Facebookに書いたアラビア語の文章を友達に褒められたのでちょっと嬉しかった。

2014年10月21日火曜日

天気とインフラ Oct 20, 2014

なぜだか身体が痛くて寝られず、その痛みが治まってから眠りにつくと、起きたのは昼頃。
あわてて飛び起きて準備したら、午前の授業が終わって帰ってきた隣人と鉢合わせた。
すると、「今日は砂嵐が酷いよ」とのことで、マスクをもらっていざ学校へ、お昼ご飯も食べていないから急ごう、と出発。

……しようとしたら、同じクラスの友達から「今日は休講だよ!やったあああああああ」というメッセージが届いていたのだった。

というわけで、今日は寮から一歩も出ずに過ごした。
クウェートの空気は基本的に埃っぽいが、おそらく雨が降らないことによるものだろう。
他の留学生の友達とも「雨、降ってほしいね」という話をしたことがある。

この砂嵐はおそらく前日から続いていた強風によるものだと思う。
風が強いなーなどとのんきなことを考えていたら、周辺の砂漠地域の砂がいつの間に吹き上げられていたらしい。
日本の黄砂など比べ物にならない天気だった。

学校へ行かなくてもよくなったので寮のカフェテリアで昼食をとろうとしていたとき、到着したばかりのポーランド人留学生と出くわした。
どこ出身なの、というお決まりの質問や授業の評判の話など簡単にして、ついでに外に出てみたら、マスクをしていてもやっていられないような空気。
到着したばかりの彼女たちは興味津々といった様子だったが、未だに喉風邪が治らない私は咳き込むばかりだった。

こんなことになっていました。
画像は一切加工していません。



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天気ばかりはどうしようもない。
他に仕方ないことと言えば、インフラである。

日本大使館で「クウェートは莫大な富を抱えている割に、それをきちんとインフラに回せていない」と伺った。
全くその通りで、一件豪華で綺麗に見える建物も以外と古く、立て付けが悪かったりする。
日本のような便座が温かくウォシュレットのついているトイレなど見かけたことがないし、寮のシャワーは電話ボックスくらいのタイルばりのスペースにシャワーがついているのみだ。

町に出てみると、明らかにボロボロの建物を多く見かける。
これはダウンタウンなのか、治安は大丈夫なのか、と疑ってしまうが、ただ建物が古いだけで特に治安の問題はなさそうだ。

断水や停電はたまに起こる。
この前の朝方、急に停電した。電気が切れたところで特に何も問題はなかったし、なぜかインターネットは使えた。
また、深夜にトイレに行ったとき断水していたのは非常に困った。

インターネットに関しても非常に遅いという評判だ。
今のところ、まだ学内LANしか試していないが、切れないはずの回線がすぐ切れるし、よく止まるのでSkypeは途中で途切れることを前提にやっている。
今もまたネットの調子が悪く、困っているところだ。

特に歩道は酷い。クウェートは「歩行者」という概念がほぼ皆無と言っていいほどの車社会だが、スークやショッピングモール、商店街、駐車場の周囲など人が歩きそうな場所には一応歩道が整備されている。
しかし、タイルが剥がれて砂がむき出しになっている箇所が多く、それならまだ白線を引いておいた方がマシではないのかと思うほどだ。
(だが、ラインを引いたところでクウェートの車はそれを無視して走行することだろうけど……)

女子寮から学内連絡バスのバス停まで、歩いて5分と少しくらいなので、平気で歩いて行く。
学校の敷地内と駐車場を通るので、駐車場の歩道を歩いて行くが、そこがボコボコなのでよく転ぶ。
だが、私がハイヒールを好んで履くのが問題なのは明白である。


クウェートで一番整備されているのは、やはり自動車の道路だろう。
どういう経緯でクウェートが車社会になったのかよくわからないが、車社会なので仕方がないと言うべきか。
バスに乗っていると、工事をしているのをよく見かける。
当初はクウェートでこれ以上何を作るのかと思ったけれども、道路を作るというのは納得だ。
これで渋滞が少しでも解消されてくれればと思うのが本音だ。


2014年10月20日月曜日

ネイティブ教師の授業 Oct 19, 2014 (Sun)

実は前々から「ネイティブ教師による外国語教育」という観点から日本語教育に興味があった。
だからと言って特別に何かを勉強したわけでもないが、ぼんやりと日本語教育の資格を取ってみようかなぁなどと考えていた。
日本での所属大学・学部が日本語教育に強いので、日本語教育に関する授業をいくつか取っていたし、留学生チューターのバイトもしたことがあるが、その程度。

今日はクウェートで日本語教師をしておられる日本人の先生にお招きいただき、日本語の授業にゲストとして出席してきた。
何人かは日本語が話せるという、比較的レベルの高いクラス。
自己紹介した後に日本語で質問をいただき、こういう風にほぼ全員から質問がきちんと出てくるのが日本とは違うなぁと思うなど……

自己紹介では写真を見せることにしていた。
と言っても、5月に長崎(それもメジャーな観光地ではなく、島や外海などへんぴな地域)へ行ったときの写真と、ラーメンの写真、大学で行ったイベントの写真、浴衣の写真……などを見せ、簡単に説明した。
長崎では神社と教会を訪れていたので、「これは神社です」と説明すると、先生が「神社と寺の違いがわからないのよねー」とおっしゃった。
こういうところでも言語を学んで行くのだなぁと実感。

どんな日本語を話したかというと、「やさしい日本語」だった。
日本で取っていた授業で触れたことのある「やさしい日本語」。
これは在日外国人に対して、災害時の緊急情報などを伝える時、確実に伝わるように易しい言い回しをした日本語の文書を発行するというもので、「やさしい日本語」と検索すれば情報が出てくるはずだ。
なぜ「やさしい日本語」が出てきたかと言うと、それは私がアラビア語の授業でネイティブスピードについていけずうんざりしているからであって……
というのもあるが、自分の発話を100%伝えたかったので、簡単な言い回しで話すことを心がけていたのだと思う。

授業を見学したわけではないので「日本語教育がどうこう」ということはあまり感じなかったが、日本で勉強した「目標言語と教室内で共有している言語を使う比率」に関して気を使わなければならないということを実感した。
先生がずっと日本語で発話しておられ、難しいところのみ英語で説明されていたので、私もそれに倣って「講演会」など難しい単語のみアラビア語に置き換えて紹介した。

それでは、アラビア語の授業はどうかと言うと、初級・中級・上級のうち私の受講している中級クラスは全てアラビア語で授業が行われる。
何人かついて行けていない学生が出てくるのは事実だが、全て目標言語(習得しようとしている言語)で授業を行うことの良い点は、「目標言語を話す」という雰囲気が自然と出てくるところだと思う。
普段、授業内では少々複雑な単語の意味を説明するとき以外は全てアラビア語なので、先生に授業とあまり関係のない用事(病気で授業を欠席しますなどの事務連絡)でも「アラビア語で話しかけなきゃなぁ〜」と自然と思ってしまう。
また、同じ授業を取っている友達とはアラビア語で話そうかな、という気分にもなってくる。
英語の方が話しやすいのは明らかだが、クラスにそんな雰囲気があるせいだろうか、友達と宿題の話をしていたとき、使った言語はアラビア語だった。

ネイティブ教師による授業で最も難儀なのは文法ではないか思う。
初学者向けの授業にも出席していたが、活用や格変化をすべて英語とアラビア語で勉強していくのは大変そうだと、日本人の友人たちを見ていて感じていた。
日本の大学でお世話になっている先生から「アラビア語について、あなたがこの大学で学んだこと以上のことはたとえアラブに行ったとしても学べないからね」と言われた。その時はそれは大げさではないかと思ったが、今となってはそれがよくわかる。
クウェートで良い点はアラビア語そのものを学ぶことが出来る点ではなく、四六時中アラビア語に触れられる環境が与えられることだ。

一番苦労しているのは、文法用語も当然アラビア語であることだ。
日本語か英語で言われたらわかるのになぁ……と思うことがしばしばある。
まず時制もアラビア語で言われたら冷や汗もので、その上動名詞や分詞……
(かなりブルーなので、アラビア語の文法用語を一覧できるサイトなどあればお教えいただければ幸いです。)

今日授業で扱ったのは、イウラーブ(اعراب)。
日本でイウラーブという語が出てきた時に「母音記号を付ける」という意味が出てきて何となく面食らったのを思い出すが、要するに格変化だ。
アラビア語で動詞以外の単語は語末の母音を変化させることで格変化させる。
普通は語末の母音を省きながら話すことが多いが、今回の授業は語末の母音をきっちり発音し、正しい格変化が出来るかどうか確認した。
アラビア語の文型はVSOなので、文の後ろの方に主語が来ることもしばしば。今日は見事に引っかかったので、とても残念でした……

ただ、こういうことまできっちり教えるのが語学教師の仕事なのだとふと思った。

2014年10月18日土曜日

クウェートで、大切なこと Oct.16 2014

クウェートも季節の変わり目(と言っても連日30度近くの気温だが)で、風邪を引いてしまったので部屋で大人しくしている。
軽い風邪なので、休日ゆっくりすればすぐ治るかなと思っているところ……

時間を経るたびに授業が難しくなるのにはすっかり閉口しているが、クラスメートの助けもありなんとか着いて行っている。
自分はこのクラスの中でもアラビア語能力が低い方なのだから、もっと勉強しなきゃと自分に発破をかけるも、風邪でダウンしているのがとても残念な週だった。

日本にいる時から自分の性格はわかっているつもりだったが、こちらに来て、やはり私は人間関係の点で不器用だと思った。
本当に、友達が出来るまで時間がかかった。
こちらで友達を作るのに一番大きかったのは言語の壁であるのは間違いない。
英語もアラビア語もそれほどうまくないので、なかなか話しかけられなかった。

それでも最近になって、英語もアラビア語も前よりはうまくなったので、話しかけることが出来るようになってきた。
その服いいね!だとか、たわいもないことだけれども、これを言うのと言わないのとでは、関係性に大きな違いが出てくることがよくわかった。

だからこそ、私に話しかけてきてくれた友達には心から感謝している。
私もそう出来る人でありたいし、話しかけられるように外国語の能力も身につけなければならないと思う。

会話の中で、たくさんの褒め言葉を使う。
授業でも、先生はうまく答えられた学生を様々な言葉で褒めてくださるので、自然と私も褒め言葉を身につけることができる。
それを何となく会話の中で使えるようになり、コミュニケーションがうまくいく……という理想の循環。

あともう一つ、クウェートで大事なこと。
あくまでも個人的な意見だが、女性は「結婚指輪を身に着ける」ことが大切だと思う。

クウェートで、日本人はやたらとモテる。
そもそも、アジアから外に出ると美醜の基準が日本とは違うので、日本ではモテなかった人ですらもかなりモテる可能性がある。
ついでに言うと、親日家や日本に対してポジティブな印象を抱いている人が多いので、日本人というだけでプラスになる。
クウェート人の男性はガツガツしているので、日本の「草食系男子」はかなりモテるという話もどこかで聞いた。

それがうっとうしいのであれば、最初から結婚指輪のダミーを身につけていればいい。
既婚者であれば恋愛対象にはならないので、ダミーの結婚指輪はあった方がいいと思った。

他の留学生女子と「クウェートで服買うと高いよね〜」というたわいもない会話をしていたとき、「“クウェートの彼氏”を作りなさい」なんてことを冗談めかして言われたが、実際のところクウェート人は基本的にお金持ちなので、おごってくれる人が多いことだろう。
クウェート人に貢がせている留学生女子もいるらしい、などという話も友達から聞いた。

ただ、クウェートは狭い社会で家意識が強いため、うかつに踏み込んだ関係になると「どこどこの息子が○○人と〜」という話が筒抜けになってもおかしくないと私は予想している。
そんな事態になるくらいなら、既婚者のふりをし、学校で勉強に励む方が有益な時間の使い方だ。

2014年10月15日水曜日

荷物の受け取り Oct.15, 2014 (Wed)

両親に日本から荷物を送ってもらった。
住所を寮にしておいたところ、局留めになっていると寮に連絡が入ったので、郵便局へ受け取りにいった。

郵便局は女子寮のすぐそば。
友人と共に朝早くから寮へ向かう。
寮の受付で渡されたメモ用紙を持ち、どこで受け取れるのかとしつこく聞いて回り、なんとか受け取りのオフィスへ。

すると、「スタンプを買ってこい」と言われる。
どこで買えるのか尋ねてみたところ、病院で買えるとのことだった(何故病院でスタンプを販売しているのかは不明)。
車はあるのかと聞かれたので、持っていない、友達も持っていないととりあえずだだをこねた。
他に荷物の受け取りにきていた人に尋ねてみたところ、病院はギリギリ徒歩圏内だったのでなんとかなりそうだと判断。

一緒に来ていた友達が学校へ行ってしまったので一人で病院に向けて歩いていると、車に声をかけられた。
こういうとき、100%着いていってはならないのだが、あまりにもしつこかったので話を聞くことにし、ついでに病院まで乗せてもらった。
クウェートにも親日家は多く、日本人だというだけで親切にしてくれる人は多い。
ただ、今回はあくまでもラッキーなケース。常識的に考えて着いていくべきではない。

車に拾われたおかげでスタンプを難なく手に入れたので、再び郵便局へ(車を出してもらいました)。
また同じオフィスへ行き、寮で渡されたメモとスタンプとパスポートを見せ、待つこと15分ほど。
荷物は開けられてしまったが、なんとか受け取りが出来た。
心無しか、他の人より待ち時間が短かったのは気のせいか。日本からの郵便物は信用度が高い。

ここまでかなりの時間がかかると予想できるようになった当たり、成長を感じる。

2014年10月12日日曜日

休暇明け Oct 12, 2014 (Sun)

クウェートは日曜日から木曜日が平日なので、今日でイード休暇が明けた。
イード休暇はおいしいものを食べたり遊んだりと、のんびり過ごすことが出来た。
それと同時に、ゆっくりと考え事をする時間も出来たので、なんとなく今後の方向性についても考えをまとめることが出来た。
「留学したら気持ちが変わる」とよく言われていたが、全くその通りだと思う。
考える時間は、思っている以上に必要。

というわけで、勉強の日々が再開。
今日はこちらへ到着したばかりの学生を案内したり、スケジュールを説明したりしていたらずいぶんとバタバタした。
案の定放置されていた宿題(難しい)をなんとか終わらせ、いつも通り16時から授業。
宿題は、一つ詩を選びそれについて記述することでした。
私は古典の詩からチョイス。アブー・ヌワースの「あなたは私の心を目一杯傷つける」という詩を選んだ。
先生は「美しい詩だ!」とおっしゃっていたけれども、半泣きの状態で訳したのだった……

今日の授業は「イードおめでとう!」から始まり、先生からお菓子をいただいた。
イード中、あまり勉強はしていなかったが、他の留学生とアラビア語で会話していたので(簡単な会話しかしていないが)、心無しか前よりもアラビア語がすらすら出てきた気がする。
発言してみたら先生が嬉しそうだったので、どれだけ私は心配されていたのか……

今日の授業は動名詞について。
アラビア語の動名詞・分詞は非常に複雑で、日本で勉強してもあまりわかっていなかったので、非常にためになる。
毎日1コマ90〜120分の授業だが、ゆったりと濃い内容でかなり楽しんでいる。

大量のリーディング課題に文句を言いつつ、クラスメートたちと寮に戻る。
明日はランゲージセンターで文化交流イベントがあるらしく、それに向けての準備にも追われており……
その準備を投げ捨ててこんな文章を書いている。

私は語彙が圧倒的に足りないので、予習復習と言えばほとんど語彙を入れることに終始してしまうため、がんばるベクトルが少々違う気もするが、語彙は何よりも大事なもの。
順調に増やしていかねばならない。

日本でお世話になっている先生から、「クラスに日本人がいないのは幸いです。寝ても覚めてもアラビア語の環境というのは重要です」と半ばお叱りのようなメールをいただいたので、クラスに日本人のいないこの環境でしっかり揉まれようと思っている。
一つ甘えるとすれば、多少日本語訳が間違っていたとしても誰にも何も言われないことくらいだろうか……(そういう問題ではない)
こうやって、日本でもクウェートでもアラビア語の先生に心配していただけるのはありがたいこと。
不思議な縁でアラビア語を勉強することになったが、「よきアラビア語話者」となれるよう、よりいっそう努力したいと気持ちを新たにした一日だった。

2014年10月8日水曜日

アバヤを買う Oct 8, 2014 (Wed)

友人の用事についていく名目で、スーク・ムバラキーヤへ行ってきた。

スーク・ムバラキーヤはクウェート最大のスーク(市場)であり、雰囲気はさながら繁華街といったところ。
クウェートの民族衣装の店や香水の店が所狭しと立ち並ぶ。
女性のアバヤなどは他のショッピングセンターなどでも購入できるが、ここで買うのが一番安い。
アラブの伝統的な市場の雰囲気を体験したければ、ここへ来るのがいいだろう。

ちなみに、ここには両替所がいくつもあり、身分証明なしで両替が可能だ。
通常は身分証明をして(市民IDか、市民IDがない人はビザとパスポート)両替する。
ただ、スーク・ムバラキーヤの両替所は他に比べて少々レートが悪いような気がする。

私はアバヤが欲しかったので、友人を待つ間にアバヤの店に入ってみた。

1つ目のお店は、店員が何を言っているのかさっぱりわからなかったので、これはあまり長居すると面倒なことになりそうだと早々に退散した。
おそらく、インド系の人だったのだろう。
インド人の英語は全くわからないとよく言うが、本当にその通りだ。それ以前に、何語をしゃべっているのかさっぱりだった。
情けない話だが、正直なところよくある話だ。

そんなわけで隣のお店に入ってみた(アバヤのお店が2つ隣り合っていて大丈夫なのか……)。
こちらの店員もインド系の人だったが、かろうじて聞き取れる英語で話してくれた。
お店には他に客がいた。椅子に腰掛けていたので店の関係者なのかと思ったが、話してみるとどうやらお客さんであるようだった。

お決まりのアバヤ・へジャブ・ニカーブで顔をしっかりと隠した彼女は、凛とした話し方をしていた。
「このアバヤはチャイニーズスタイルだ」と、チャイニーズスタイルと言うよりは日本の着物のように前身頃が左右に分かれているタイプのアバヤを勧めてきた。
いやいや、私が欲しいのはアラブ風のアバヤだと言えば、どれがいいのだと彼女と店員は私にしつこく尋ねる。
15KD以上は払いたくないなと渋っていると、彼女は「私が安くしてあげる、10KDだ」と言い放ち、去っていった。

女性がいなくなった後、ゆっくりとアバヤを選んだ。
あまり時間もなかったので手前にあったものを出してもらうと、金色の刺繍があしらわれた豪華なアバヤが何となく気に入ったので、とりあえず買うことにした。
「これも10KD?」と一応確認すると、そうだということで私は内心ガッツポーズ。
定価は17KDだそうだ。7KDは日本円にすると約2600円なので、かなりラッキーだった。
こちらのアバヤを購入。日本円で約3700〜3800円。安いです。
 おそらく客の女性はその店のお得意さんだったのだろう。
顔が利く人に出会えてラッキーだった。

ここは中東だ。何が起こるかわからない。

2014年10月7日火曜日

「いただきます」「ごちそうさま」 Oct 7, 2014 (Tue)

寮や大学のカフェテリアで食事をとりながら周囲の人を観察していると、食べ残しが目立つのが気になる。
到底食べきれないような量を盛られてしまうので、私も食べ残すことがあるのだけれど。
大量に盛られた料理をほとんど残してしまう人もいるので、いつも「もったいないなぁ」と思っている。
クウェートのレストランで食事をしたときもそうだった。食べきれない量の食事が出てきて、結局残した。

そんな風にして、私は「食べ残す」という行為にどんどん慣れている。
食べ残すことに慣れつつある自分に嫌気が差してくることもあるが、食べきったら脂でおなかを壊してしまうので、自分の身を守るために食べ残す。

だからかどうかはわからないが、食事の前後に「いただきます」「ごちそうさま」を欠かさないようになった。
特に寮で食事をしていると、周囲は文字通り外国人ばかりなので、「いただきます」の習慣がない人が多い。
その上、寮の食事が合わなくて苦しんでいる人が多いというのは、また別の話か。

寮の食事は奨学金でまかなわれている。
だから、どれだけ食事が身体に合わなかろうと、食事なしには生きてゆくことの出来ない身なので、食事への感謝を表す最も簡単な言葉である「いただきます」「ごちそうさま」をこまめに言うようになったのだだと思う。

飽食なのかどうかわからないが、大量に食べ残す人を見て、食べるという行為については考えさせられるものがある。
この人たちは食べ物を大事にする気持ちがないのだろうか、消費することに対して何も思わないのだろうか、と。
クウェート人はもちろん、こちらに来ているアフリカ人などお金持ちが多いので、もしかしたら彼らは消費することに抵抗がないのかもしれない。

そんな空気に対抗するかのように、私は「いただきます」「ごちそうさま」といちいち手を合わせる。

アラブ文化圏では、「いただきます」の代わりに「ビスミッラー(باسم الله)」、「ごちそうさま」の代わりに「アルハムドリッラー(الحمد لله)」と言うそうだ。前者は「神の御名によって」、後者は「神に讃えあれ」というイスラームの決まり文句で、食事に限らず何かを始めたり終えたりする時にこの言葉をよく使う。
イスラームと生活は不可分のものなのだなと、こういう現場に出くわすといつもしみじみ思ってしまう。

2014年10月5日日曜日

クウェートの接客 Oct 5, 2014 (Sun)

今日は他の日本人留学生といっしょに、大使館の方や日本滞在歴の長いクウェート人と昼食会だった。
クウェート随一の高級レバノン料理店。ケバブなどの定番料理をいただく。
とてもおいしかった。が、日本人の胃には重たい料理です……

そして、クウェート人の車でサルミヤ地区のCity Centerへ。
サルミヤ地区は外国人の多く暮らすとてもオシャレな、日本で言うところの表参道のような地区。
City Centerはクウェートのチェーン店で、クウェートにはどこにでもある庶民的な店だ。
メインはスーパーマーケットだが、サルミヤ地区のCity Centerには専門店も一部入っている。

ここにはダイソーが入っていたので、とりあえずダイソーを見学。
日本のダイソーと大差ない。というか、そのまま輸入しているのだろう、全く同じ商品が並んでいた。
ただ、こちらのダイソーは600Fils(約230円)ショップなので、注意されたい。
アラビア語で「ダイソー」と書かれています

ダイソーで、ディシュダーシャ(クウェートの男性が着る衣装)の男性から急に話しかけられた。
「君は日本人なのか」と尋ねられたので、そうだと答えると、彼は空手をやっており、日本にすごく興味があると話してくれた。
こちらで男性が下心なくわざわざ女性に話しかけることはあまりない。
私が外国人だというのもあったのだろうが、急にそのように声をかけられて面食らいつつも、こういう出会いっていいな、なんてふと思ったのだった。
その後、他の日本人たちといっしょにいるところでまた彼と出くわし、彼のお嬢さんが無邪気に「シュクランって日本語でなんて言うのー?」と話しかけてくれたのが嬉しかった。

一日にして高級店と庶民的な店の両方を回ったわけだが、接客の質はどちらも大差ないし、それで特に不快な思いをすることはなかったように思う。
クウェートの接客には変な恭しさがない。
私の海外経験は乏しいので、あくまでも日本と比較してということではあるが。

私が外国人だからか、買い物をしていると気軽に声をかけてくる店員が多い。
「チャイナ?」「どこから来たの?」「(本屋にて)何を探しているの?」「アラビア語話せる?」「クウェートにはどのくらいいるの?」などと気さくに話しかけてくる。
私もそれに対してアラビア語なり英語なりで応えるわけだが、このようなやり取りは心地よい。

思えば、日本ではこんなことはめったになかった。
コンビニでの丁寧だけれども機械的な応対に違和感を覚えることの方が多かった。
大阪に住んでいた頃はたまにあったけれども、それは「大阪らしい」と片付けられてしまうような行為だろう。

このように会話を楽しみながら接客するということは、働くことを楽しむこと、ひいては生活することを楽しむことにつながらないだろうか。
働くことはなんだかんだ言ってみたところで生活の大半を占めることになる。
それをがんじがらめの接客ルールで縛ってしまうよりは、気楽に会話を楽しみつつ、nobleな振る舞いが出来るのが理想であるような気がするのだ。

私はずっと繰り返しているが、クウェートには外国人の労働者が多い。
最も多いのは見たところインド系の人だが、アラブの他の国やフィリピンなどからも労働のための移民が来ている。
彼らは働くためにクウェートにやってきているわけで、その「働く」という行為が楽しくなければ生活はたちまち立ち行かなくなってしまうだろう。

インド系の労働者は言葉にせず、ジェスチャーで伝えようとしてくることが多いので、その度に私は「ちゃんと言ってよ!」とイライラしてしまうのだが、おそらく言葉が不自由な人もいるだろう。
言葉の通じない、しかもクウェートという母国と全く違う世界で働くのは心細いことだと思う。

だが、そういう外国人が楽しそうに客と会話を楽しみながら働けるのは、クウェートのホスピタリティ溢れる精神に支えられているのではないだろうか。
クウェートに来てあちこちで受けたもてなしを思い返しながら、そんなことを考える。

2014年10月4日土曜日

犠牲祭休暇をのんびり過ごしながら Oct 4, 2014 (Sat)

犠牲祭休暇2日目。
特にこれと言って何かしたわけでもないけれども、犠牲祭が一体何なのかあまりわかっていないことに危機感を抱いた。
羊を屠る、くらいの事前知識しかないのはさすがにまずい。
Wikipediaなどで簡単に調べたので、ブログにまとめてみる。

犠牲祭・イード(عيد الأضحى)
イスラームの祝日。
アブラハム(イブラーヒーム)が息子のイシュマエル(イスマーイール)を神に捧げたことを記念する行事。
これについては旧約聖書の創世記にも記述がある。

神はイスマーイールの命を救う代わりに羊の犠牲を受け入れたので、犠牲祭では羊を屠る儀式が行われる。
もともと、犠牲祭はハッジ(巡礼)の最終行事として行われるが、ハッジに参加しないムスリムも羊を捧げて犠牲祭を祝う習慣がある。

もちろん私はムスリムでもないし、今後イスラームに改宗する予定もないので、私にとっては「休暇があってラッキー」くらいの感覚ではあった。
そのため寮から一切出ていないので、実感と言えばアザーンがいつもより長いなぁと思った程度だった。
あと、私は羊の屠殺シーンを見たくなかったので、出歩かないのも賢明だったかもしれない。
だが、この国にいて休暇とばかりに遊んでいるのも馬鹿らしいので、こんな文章を書いている。

イードを祝う言葉として、「イードムバーラク(عيد مبارك)」という表現をよく使う。
Facebookではこの挨拶やイードのポストカードの画像が盛んに投稿されていた。

外国人で異教徒という身だと、いくら日本でアラブ文化に親和的な環境にいたと言っても、文化差に面食らうことがたびたびある。
それはこれまでも文章で紹介してきた通り、男女の空間をきっちり分けることだったり、女性が身体をきちんと隠したりするといった、ごくごく日常的な場面だ。
日本で井筒利彦の『イスラーム文化』を読んだ時に「イスラームは聖と俗を分離しない」という記述があったのにはっとしたのを思い出す。
キリスト教などでは教会や寺、神社を聖域とし、その場で宗教的行事を行う。
イスラームでは日常に聖が混在しているので、日常が全て宗教的な要素を含むのだ。
だから宗教的な考え方に基づき、空間を分けたり女性がアバヤを着たりする。

それをきちんと理解せず、「イスラームだから女性は髪を隠さなきゃ」と短絡的に考える日本人のなんと多いことだろう。
もちろん、私にも受け入れられないイスラームの文化はある。
逆もまた然りだ。自分の意見と立場と信条をわきまえた上で、誠実な振る舞いをせねばならないと思った。

先日、携帯電話に不具合がありショップを訪れた時のことだ。
店員がエジプト人の男性だった。残念ながら、会話は英語。彼のアラビック・イングリッシュに四苦八苦しながらの会話だった。

私が日本人だという話をすると、「君たちはカツを食べるのか」と尋ねられた。
「カツ?豚肉のことだよね?」と確認するとそうだと言うので、「そりゃ食べるよ、だって私はムスリマじゃないもん」と答えると、「うわー本当か、ありえない」という反応だった。
そんなものだと思う。自分たちの文化に否定的なまなざしを突きつけられることなんていくらでもある。
それに対して柔軟に、なるべく違う文化を持つ人々を傷つけない対応の出来る人間でありたいと思う。

2014年10月3日金曜日

シーシャ初体験とクウェートの本屋さん Oct 2, 2014 (Thu)

せっかく中東に来たのだから、一度は体験してみたいと思っていたシーシャ(شيشة)。
先日、他の日本人留学生に誘われてシーシャを吸いに行った。

シーシャの仕組みがよくわからなかったので、後になってからではあるがWikipediaで調べてみた
どうやら、フレーバー付きのタバコの葉に熱した炭を載せて燃やし、水を通して吸引する水タバコであるらしい。
もちろん、シーシャがタバコの一種であることは知っていたので、タバコ嫌いである私は「多分私はシーシャ苦手」と思いながらの初体験だった。

案内してくださったのは、大使館の方のご紹介で出会ったクウェート在住の日本人。
満員の車でまずはハワッリー(حولي)地区の本屋さんへ向かう。
クウェートの本屋さんはどれも残念……ではなく日本のものに比べたらずいぶんと規模が小さい。
クウェート最大と言われるこのジャリール書店(مكتبة جرير)も、せいぜい駅前の少し広めの本屋さん位の規模だった。
日本で大学の先生に頼まれていたクウェート方言のテキストとアラビア語の会話集、ナギーブ・マフフーズの小説、クウェートの地図を購入して買い物終了。

とりあえず本が近くにないと落ち着かない私としては、本屋さんが充実していないのは残念この上ない。
購入した本。良いディスプレイ……そのうちちゃんと読みます。
Speak KuwaitiとLearn Kuwaitiは日本で大学の先生に購入してくるよう頼まれていた。

その後、ジャリール書店のあるハワッリーパーク内で簡単に夕食。
クウェートではお昼ご飯を一番たくさん食べるので、夕食をしっかりとる人は少ない。
典型的な日本の食生活を引きずっている私たちはハラペコだったが、ファストフードをお腹いっぱい食べた。
私はケバブのセットを注文した。1KD(約380円)でお腹いっぱい食べられたので大したものだ。

ハワッリーパークを出てシーシャの店へ。
どうやら室内で吸うか室外で吸うか選べるらしい。
正直なところ屋外がよかったが、まだ外でシーシャを吸うには暑いので(おそらく気温は35度前後)、室内で吸うことになった。

シーシャの店はやたらとアングラな雰囲気が立ちこめていた。
入った瞬間に「あ、ここ大丈夫かな」と一同感じていた空気があった。
また、男性4人女性2人の計6人組であった私たちは、クウェートにありがちなことではあるが案の定目立っていた。
男女含めたグループはこの店にはいなかった。

アングラな1階にビクビクしてはいたものの、混んでいたため2階に案内されて一同少し安心する。
1時間弱ほどしか時間がなかったので、シーシャを3つ頼んで回して吸うことにした。

選んだフレーバーはレモン・グレープフルーツ・アップル。
ドリンクも頼めたので、一人を除いて全員ホットティーを注文。一人はマンゴージュースを注文した。
シーシャの装置を運んできた店員はエジプト人だった。

マウスピースを交換しつつ、シーシャを回しながら吸う。
案内してくださった知人に勧められ、レモン味を吸ってみたところ、案の定咽せた。
初心者は少しずつ吸って、ゆっくり吐き出すとよいらしい。
シーシャの装置。
たっぷり吸いたいのでなければ、マウスピースだけ個人で持って、回して吸う。

慣れてくるとシーシャの香りがなかなか心地よかった。
ただ、さすがに「タバコ」であり、正直なところあまり長く吸ってはいられないという感想。
女性陣は少しシーシャが苦手なようで、それよりもマンゴージュースをおいしくいただいた。

個人的には、シーシャは好んで吸いたいというほどのものでもないが、たまにならぜひまた吸ってみたいかなという程度。
お酒を飲む文化のない中東で、シーシャはバーのような立ち位置を占めているのかもしれない。
シーシャを吸いながらする会話はまた違った趣があることだろう。