2014ー15年度クウェート政府奨学金を受け、クウェートにてアラビア語を学んだ記録。アラビア語やクウェート生活について。
noteに投稿した記事に加筆修正を加えて掲載しています。

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2014年12月20日土曜日

普段へジャブをしない私たちがへジャブを身につけてクウェートの街に出たらどうなるか Dec 20, 2014

それは私のちょっとした思いつきから始まった。

知人の日本人女性から、「へジャブをしているとボラれにくい」という話を聞いた。
どうもアジア人女性は舐められやすいらしく、市場で買い物をしていると不当に高い金を払わせようとしてくる人たちにしょっちゅう出会うのだが、へジャブをしているとどうやらその確率が下がるらしい。

というわけで、試験がようやく終わったルームメイト(日本人)と検証に行ってきた。
夕方に買い物へ行こうという話はもともとしていたので、なんならへジャブしていってみよう!ということだ。
彼女も同様、普段へジャブは身につけない。

行き先は、クウェート最大の市場「スーク・ムバラキーヤ」である。

ここで、「へジャブって何?」という方のために説明しておきたい。
へジャブとは、ムスリム女性が髪の毛を隠すために頭に被る布のことである。

日本人でムスリムではない私がへジャブを身につけたら、こうなった。



完全に瀬戸内寂聴だ。(スーク・ムバラキーヤにて撮影)

部屋でワイワイ言いながらへジャブを身につけた後、寮を出ようとしたら受付のおばちゃんたち(美人・おそらくエジプト人)に声をかけられる。
「きれいねー!いいわね!」とめちゃくちゃ褒められた。
友人はへジャブを上手に身につけられていなかったので、おばちゃんに綺麗に整えてもらった。
さすがはムスリマ、へジャブのプロである。

タクシーで行こうと思っていたが、ムバラキーヤ方面のバスが来たのでバスに乗車。
クウェート大学の学生は無料でバスに乗れるのでラッキー。
ただ、バス内の治安はあまり良くなさそうなので、女性は特に複数で乗るのがベターです。

無事にムバラキーヤ到着。
とりあえず、第一の目的である両替所へ向かう。
スーク・ムバラキーヤの両替所は身分証明書なしで両替ができるのと、他の両替所よりも若干レートが良いのでよく利用する。

両替所へ向かう途中、なんだかいつもよりも声をかけられる!?
普段へジャブをしていなくても声はかけられますが……。

一番レートの良い両替所を探し、ワイワイいいながら両替してもらう。
今回の両替所のおじさんはイラン人でした。

両替が終わり、ご飯を食べて何となく買い物をして帰ろうか〜と言うことで、何となく歩いてみた。
クウェートで売っているへジャブやスカーフ・ショールの類いは比較的安価で質もよく、デザインもよいので、そういう店をめぐっていたら、へジャブのお店にたどり着く。

値段は1KD~2KDだった。装飾がつくと高くなるらしい。
長居していろいろ見せてもらったけれど、私はラメ入り素材の黒いへジャブが気に入ったので、購入しました。
自分用に1枚、お土産用に1枚。合計で3KDだったけれど、「2.5KDでいい?」と尋ねて特別にこの値段でOKとのこと。
値切りに成功した。

第一の調査目的である「へジャブをしていると本当にボラれないのか」である。
私たちが長居している間、クウェート人女性が買い物に来た。
聞き耳を立てていると、店員が彼女に提示した値段は私たちに提示した値段と同じであった。
どうやらボラれていないようだ。

あとは普段と同じ調子で買い物ができたので、割愛。
印象的だったのは、インド人と思しきおじさんに「ディスカウント!!!」と叫ばれたことくらいだろうか。
「いっぱい値引いてくれる?後で行くわ!」と答えたが、行きませんでした。すみません。

各々好きな物を買い、帰りはタクシーにて。
今日のタクシードライバーは陽気なパキスタン人だった。
彼の英語は非常に訛りがキツく聞き取りにくかったが、私たちが日本人だとわかると「日本の車、最高!スズキ!あなたたち友達!」と嬉しそうだったので良いことにする。

彼から「あなたたちはムスリムなの?」と尋ねられた。
私はどう答えようか一瞬悩み、「違うよ。試してみてるだけよ。」と答えることにした。
彼は「え、そうなの?まぁいいじゃん!綺麗綺麗!」というようなことを言っていた。

今日、一番興味深かったのは寮のおばちゃんたちの反応だ。
彼女たちは私が普段へジャブをしないことを知っている。
彼女たちが何と言うか少々心配だったが、手放しで褒めてくれたのが嬉しくもあった。
私たちがこちらの文化に馴染もうとしているように写ったのだろうか。

まぁ、何はともあれ、楽しいひとときだった。
今後はオシャレへジャブ、ワンチャンありそうです。

2014年12月4日木曜日

3ヶ月に寄せて Dec 4, 2014

バスから、雨上がりの虹
 
 
ここ最近ずっと、「もう少しでクウェート滞在3ヶ月だから」と、3ヶ月という数字を心の支えにしていたのはなぜだろう。
忙しかったりアラビア語が思うように話せなかったりもどかしい日々の中、3ヶ月経ったら何かが得られるような、満たされるような、そんな気がしていた。

そんな風に過ごしていたら、そろそろ3ヶ月経ってしまうという時期になっていた。
正確な日付ではないが、書きたいと思う気持ちがあるうちに「3ヶ月の思い」を書いておこうと思う。

「3ヶ月」という数字が印象に残っているのは、留学する1年ほど前に大学で参加した国際交流の勉強会での出来事が大きかったのだと思う。
留学生だったか院生だったか忘れてしまったが、「あなたは海外で同じ場所に続けて3ヶ月以上滞在したことがありますか?」と全体に質問を投げかけている人がいた。
長いこと留学して豊富な海外経験を積んでいる彼女なりに、国際交流に関して思うことがあり、伝えたいこともあったのだろう。
留学するかどうか自体を検討している途中だった私にとって、とても印象的な言葉だった。

クウェートに来て3ヶ月経った今、ようやく地に足がついている実感が出てきた。
今、私はクウェートにいるのだという事実を受け入れられるようになったのも実は最近だし、こちらの常識に身体を馴染ませながら生きられるようになったのも本当に最近のこと。
それまでは急に「どうして私はここにいるのか?」などという無意味な自問自答を始めることもあり、本当に苦痛だった。

一言で言ってしまえば「慣れた」のだろうが、「慣れていない」と「慣れた」の間には大きな差があるし、そのどちらが良いとも言い切れる物ではないと思う。

慣れるにつれ、一つ一つの動作を考えてする必要もなくなったし、言葉の不安もなくなった。
知り合いや友達が増え、頼れる人もできて、生活のリズムもつかめてきた。
これらは間違いなく良い変化だ。

一方で、クウェート社会の良くない点や、こちらでは当たり前のことでも私にとっては決して快く思われない習慣が目について、こういった点は本当に嫌いだと思うようになった。
日本では中流階級の庶民として暮らしてきた私が、お金持ちがデフォルトのクウェートで矛盾を感じたり、嫌な思いをしないはずがないと、頭ではわかっている。
それなのに、こんな風に思っていていいのか、私は望んでここに来たはずなのに、といつも思っている。
そして、「そんなことないよ、大丈夫だよ」と励まされたい気持ちが存在しているのも事実だ。

クウェートの価値観が少しずつ私の中にも染み込んでいる。
その最たる物が「インド人」で、クウェートでインド人と言えば出稼ぎ労働者。
お手伝いさんだったり清掃だったり、ブルーカラーの仕事を担うのが彼らで、どうしても私の意に反して「クウェート人より一段階下の階級」に見えてしまう。
良くないとは思っているけれど、それが徐々に当たり前になりつつあって、たまにインドに留学している友達がSNSで書いているものを見ると、はっとすることがある。

多少のトラブルではへこたれなくなった。
しかし、言葉を尽くしても語りがたい気持ちの面でのもやもやが溜まりに溜まっている。
それで、なんだか疲れてしまったから、リフレッシュしたいという気持ちが否めない。

あと2週間ほどで今学期が終わる。
なんとか乗り切ろう、そう自分に言い聞かせている。

2014年11月26日水曜日

少しだけ壁を乗り越えた話 Nov 25, 2014

日本から手紙が届いていたり、友達が話を聞いてくれたり、いろいろなことがあった一日だったけれど、今日の一番嬉しかった話を。

「短めの新聞記事を読んで、それについて記述する」という課題が出た。
アラビア語で読まなければならないので読みやすそうなテーマの物を探していたら、何となく目についたのがアルジャジーラの記事。
「エジプト大統領シーシがパレスチナ支援軍派遣の準備が整ったと発言した」という趣旨だった。
しっかり記事の内容を理解しておかないとまず文章は書けないし、第一授業でどうなるか怖いので、とりあえず訳した。
これは少々の難がありつつも一応クリア。

いざ、自分の意見を書こうとしたときである。
そこで私はようやく気づいた。この記事を選んだということは、クラスメートの前でパレスチナ問題について何らかの意見を述べなければならないということだ……

先生はアラブ人だし、クラスメートの中には敬虔なムスリムもいる。
そういう人たちの前で、私はどんな言葉を選んで、どんなことを言えばいいのだろう。
知らず知らずのうちにその人たちの気持ちを傷つけたりしないだろうか。
日本では、パレスチナ問題についていくらでも意見を言えた。
だが、ここでは円滑な人間関係を築くために、言わない方がいいこともある。そんなこと、私にだってわかっている。

イスラエルを擁護するような意見を書く必要のない記事だったのも幸いして(もっともガザ攻撃以来、私がここ最近のイスラエルを擁護するような気持ちになったことはないが)、とりあえず宿題の文章は完成した。
でも、やっぱり不安だったので、先生に一言相談することにした。

授業が終わってから先生に声をかけた。
いつもはアラビア語で話すけれど、込み入った私の気持ちをアラビア語で説明するのは難しかったので、「英語で話してもいいですか」と断って、自分の気持ちを話した。

私はパレスチナ問題に関する記事を選んだ。
もちろんパレスチナ問題がアラブ世界において重大な問題であることは理解している。
もしかしたら、私の文章の中に不適切な発言があるかもしれない。
だが、私は自分の考えを正直に書いたし、アラブの人々を傷つけるような意図は断じてない。

先生は「パレスチナ問題か、いいね」とおっしゃって、私の話を聞いた後、「大丈夫だよ、これは語学の勉強だから、思ったことを書けばいいよ。そんな風に思ったりしないから。じゃあ、ここからはアラビア語で話そうか。」
そう言って、アラビア語でもう一度同じことを繰り返した。
私はありがとうございますと伝え、冬休みの話を少しして、教室を出た。
先生は、あなたに良いことがありますようにという挨拶を私にしてくださった。

日本では、アラブでパレスチナの話は避けた方がいいと言われたこともあった。全く持って納得できる意見だ。
下手なことを言ってしまうと、ものすごいバッシングを受けることになる。バッシングをする側も、間違いなく傷つく。
それほどセンシティブな話題だし、なぜパレスチナ問題に関する記事を選んでしまったのか、今思えばその時の自分は冷静さに欠けている。

だが、そんな風に避け続けてもいられないのかもしれない。
今日、不意にそういう時が来てしまった。

それをこういうふうに受け止めてもらえたことに、本当に感謝している。
出来の悪い学生にもいつも平等に接してくださって、全員が理解するまでゆっくりと説明してくださるこの先生のことが私は本当に好きだ。
だが、それ以上に、「アラブ人のアラビア語の先生」として見ていた彼に私のこう言った気持ちを伝え、彼からそれに対する言葉をかけてもらったことで、何となく壁を感じていた「異文化」なるものと初めてつながることができたような気がして、なんだか安心してしまった。
後になってから、そんなことを思って涙が止まらなかった。

「私はあなたの気持ちを傷つけようだなんて決して思わない。その上で、私の考えを素直に話します。」
そう伝えた上で話せば、きっと壁も乗り越えて行ける。
私たちは、境界を越えているように見えても、乗り越えられない壁を心のうちに抱えてはいないだろうか。

日本にいたとき、アラブ世界は3人称だったが、クウェートにいる今、アラブ世界は2人称だ。
私はアラブに「あなた」と呼びかけ、対話する。

だからこそ、アラビア語でそういう風に言えるようにならなければと思う。
そして、そういうことが出来る人間でありたいと思う。
幸か不幸か、私が選んだのはアラビア語だから、「日本人」という生まれ持った性質とともにこの能力を生かすことの出来るような人間でありたいと、そう願っている。

2014年11月24日月曜日

銀行口座の開設 Nov 24, 2014 (Mon)

市民IDをなんとか取得したので、次は銀行口座を開設せねばならない。
大学からの奨学金(もといお小遣い)は口座振り込みになるとのことなので、ランゲージ・センターの先生から「なるべく早く口座を開設して番号を知らせろ」と急かされている。

余談だが、私が受給しているのは「クウェート政府奨学金」であり、奨学金の出所は「クウェート政府」である。
それなのになぜ「大学からの奨学金」と表現できるかと言うと、この国の豊かな財源によりクウェート大学は運営されており、一般の学生も学費は無料であるからだ。
大学の財源イコール政府の財源なのである。さすがレンティア国家だ。

というわけで、私は「今週は忙しいしまぁ、まだ、いいや……」と思っていたら、急に隣室の日本人が作りに行くと言い始めて、ついて行くことにした。

寮の受付でおすすめの銀行を3つほど教えてもらい、バスを出してもらって(そのあたり本当に至れり尽くせりだと思う)いざ銀行へ。
最初に連れて行かれた銀行は寮から徒歩5分ほどで、「いやそれくらい歩けよ」と例のごとく思ったが、入ってみると「100KD(約4万円)必要です」と言われたので、断念して別の銀行へ。
バスを10分ほど走らせ、いつも行くスーパーのあるケイファーン・ジャムイーヤというちょっとしたショッピングセンターへ。

クウェートにももちろんいくつか有名な銀行があり、代表はクウェート・ナショナル・バンク(NBK)だが、今回は外国人も口座の開設がしやすいというクウェート・フィナンシャル・ハウス(KFH)で口座を作ることにした。
これら2つの銀行は、ジャムイーヤの中で隣り合っていた。

銀行も男性専用のフロアと女性専用のフロアに分かれていた。
私たちは女性専用のフロアへ。
かなり長いこと待たされてしまったが、その間アラビック・コーヒーとチョコレートをいただいた。

女性専用のフロアの従業員はもちろん女性だけだ。
KFHのケイファーン支店はとても豪華で、雰囲気は日本で一度だけ訪れた新生銀行のようだった。

口座開設については英語で説明してもらった。
クウェートは英語が通じるのが本当にありがたい。英語の書類も準備されていたようだった。
「グローバル化」に必要なのはこういうところだと思う。英語が通じるのはクウェートの長所だ。この点に関しては日本も見習うべきではなかろうか。

奨学金受給を目的に口座を作ることを伝えると、学生証と市民IDを提示するように言われ、必要書類に署名をし、引き下ろしやネットバンキングの説明を受けて終了。必要経費は10KDで、そのうち5KDは口座に振り込まれるとのことだった。
日本でもネットバンキングは使っていなかったしクレジットカードは別に持っているので、今回はそのサービスは付けなかった。

クウェートの至る所に様々な銀行の小さなATMが設置されているが、違う銀行のATMでも0.5KDの手数料を払えば引き下ろしが可能だそうだ。
なかなか良い仕組みだ。

カードなどの受け取りは数日後。

2014年11月19日水曜日

仲良しのクラスメート Nov 18, 2014 (Tue)

クウェートに来て、いろいろな人と出会った。
その中で一番日頃から接する機会の多い人は、何と言ってもクラスメートである。

現在、4クラスが開講されている。
当初は2クラスだったが、学生が増えすぎて中級レベルのクラスを後から2クラス増設することとなった。
私は上から2番目の中級クラスに籍を置いている。
何度か書いた通りだが、このクラスの日本人は私だけだ。アジア人がやや多いが、世界中から学生が集まっているクラスである。
もっとも、常に一段階レベルを下げたいと友達に愚痴っているが、レベルを下げてしまったらもう上のレベルに戻ることはできないだろうととりあえず耐えることにした。
一段階レベルを下げたらそれはそれで、また日本でやったのと同じ文法の勉強をしなければならないので、クラスメートの力を借りながらがんばろうと思っている。

今日はクラスメートの誕生日だった。ケーキを準備してささやかなパーティーを開くことにしていた。
女子寮近くのケーキ屋さんで巨大なチョコレートケーキを準備し、ハッピーバースデーを歌って一緒に食べるという簡素な物だった。
男女がいっしょに席に着ける場所は授業のあるランゲージ・センターか屋外のテラスくらいしかないので、テラスで他の女子たちと待機する。

そして、事前に仕込んでいた通り、図書館で勉強していた誕生日の彼を「そろそろ昼ご飯行こうぜ〜」とテラスまで連れ出してもらう。
どの程度サプライズだったのかわからなかったが、とりあえず喜んでもらえてよかった。
彼の言葉の「ハッピーバースデー」を他の友達に教えてもらい、みんなで歌った。

また別のお話だが、韓国人のクラスメートとケーキを買いに行った後にアイスが食べたくてマクドナルドに寄った。
その友人と前にマクドナルドへ来たとき、40円くらいでソフトクリームが買えたのを覚えていたのだった。
すると、マクドナルドすぐそばのボーリング場にいた韓国人の男性に声をかけられ、なんとアイスをおごってもらったのだ。
彼はビジネスでこちらに来ていて、日本滞在経験もあり日本語がとても上手だった。
また会おうという話をした。

思えば、私はクラスメートに本当に恵まれてきたと思う。
高校まではもちろん「クラス」というものが存在してきたわけだが、大学に入学してからもアラビア語を専攻する学生の数は30人未満なので、それが「クラス」のような位置づけで日本での大学生活を過ごしていた。

クウェートの今のクラスがこれほど仲良くなったのは、担当の先生がとても真面目で厳しくて、毎回多くはないが大変な宿題が出るのに一同辟易しており、「誰か一人を敵にしたら仲良くなる」という現象が起こっているだけのことかもしれない。
そんなことで仲良くなるなんてまるで子どもみたいだが、奨学金をとり本国での学業をいったん休止してこちらに来ている私たちにとって(私も大学を1年休学しての留学だ)、クウェートでの一年はある意味将来のために前に進むこともなくゆっくり出来る時間であって、みんな心に余裕があるのかもしれない。

誕生日ケーキをいっしょに買いに行った友人と、「今のクラスメートはみんなスマートで優しくて素敵な人たちだよね、次のセメスターもみんなと一緒に勉強したいから、このクラスに残れるようがんばろうね」という話をした。
留学って、もっと寒々しいものなのかしらと思っていたので、励まし、助け合い、心から信頼できる仲間に出会えたのが本当に嬉しい。

2014年11月17日月曜日

市民IDの取得 Nov 16, 2014 (Sun)

クウェートに滞在するために市民IDを取得しなければならない。
クウェートにおいて市民IDは何よりも大切な物で、パスポートをなくしても市民IDはなくすなと言われるほどだ。
これが身分証明書となり、ケータイのsimカードを買うのにも、病院へ行くのにも、とにかく何をするのにも必要だ。

市民IDを取得する前に在留許可を取得した。
在留許可の取得には健康診断と指紋の採取が必要だった。
こちらもいろいろと大変だったが、同行してくれたモーリタニア人の学部生が大いに助けてくれたおかげで、なんとか終了できた。

あとは女子寮が全ての手続きを斡旋してくれていたので、待つこと1ヶ月半ほどで在留許可のカードが届いた。
これは「イカーマ」と呼ばれ、イカーマは今後ビザと同じ役目を果たす。

イカーマを取得した後に取得せねばならないのが、悪戦苦闘中の市民IDである。
市民IDはビターカ・マダニーヤと呼ばれる。

イカーマが寮に届いた後、寮のバスを予約して市民IDの発行に必要な物を揃えに向かった。
まずはいつものスーパーへ行き、市民ID発行専用の封筒を専用の販売機で購入。
この中に必要な書類が入っている。

そして、もう一度血液検査へ。
……と思ったら、ドライバーが違う場所(イカーマ取得のための健康診断所)へ行ってしまったため、寮に電話して再度バスを出してもらうことに。
バスを待っている間にそこに来ていた人と話してみたところ、なんでもイカーマ取得後の血液検査は血液型を判定するための物。
事故など何かあった時に血液型が個人を判別するのに重要なのだそうだ。

気を取り直して、本来の行き先へ。
なんと、寮から徒歩20分ほどの病院が本来の行き先だった。ここなら歩いていけるのでは……と思ったが、クウェートのような車社会でお金持ちの国で、歩いていくという発想はない。
先程の健康診断所とは違いとても清潔な病院だった。実習中の学生さんと雑談などしつつ、指先から血液を採取され、スーパーで買ってきた封筒の中に入っていた書類に必要事項を記入してもらった。

それから数日経って、今日。
どこへ行くのか今ひとつわかっていなかったが、イカーマ取得の時に助けてくれたモーリタニア人の友達が偶然一緒だった。
彼女は市民IDの取得が初めてではないということで、とりあえず安心して彼女についていく。

道中、一緒に血液型の検査をした台湾人の学生が、病院でもらえるスタンプがないことに気づいた。
おそらく検査をした人が忘れたのだろうということで、どうなるかわからないがとりあえず市民IDの申請所に行くことに。

申請所は寮のあるケイファーン地区からかなり離れており、クウェートらしい危険運転に命の危機を感じつつ向かった。
到着すると番号札をもらい、順番待ち。
この間に男子寮から来ていた同級生と偶然会った。

自分の順番が来ると、封筒、血液型を記した書類、在留許可の書類、パスポートのコピー、証明写真2枚を提出。
必要書類にサインをし、2日後にまた来たら発行機で自動発行できるから、と言われた。
書類の不備もなく、無事に終了。

血液型の書類にスタンプがなかった台湾人の友達はなんとか切り抜けたとのことだった。
それで市民IDを発行しても大丈夫なのか……と思うが、これはある意味クウェートのいいところでもあるかもしれない。

一同で寮に帰り、寮母さんに次のバスの予約をどうするのか尋ねたところ、おそらく2〜4日だろうが何日かかるかわからないのでまた連絡するということだった。
こんどはまた同じ申請所に行き自動発行機を使うだけなので、そう難しくもないだろう。
バスの予約さえできれば一件落着だ。なんとかクウェートに滞在できそうでほっとしている。

2014年11月12日水曜日

NHK朝ドラ「おひさま」を久々に見て Nov 8-11, 2014

なんだかうまくいかない日々をしばらく過ごしていた。

そういうとき、私はとりあえず音楽を聴けば何とかなるだろうと思っている。
他の国に留学している友達が「この料理は私にはなじみのない物だけれど、ここの人たちにとっては故郷と結びついているものなのかなぁ」と書いていた。
私に取って日本の料理やとりわけ広島のお好み焼きは故郷であったり、私の人生そのものに深く結びついているが、音楽もまた私の人生を語る上で書かせない物だ。

だから、つらい時はとりあえずたくさん音楽を聴いて、音楽と共に一つの答えを探すことにしている。
「音楽と言葉だけは裏切らない」というのが、私が21年間の人生で得てきた数少ない確信のうちの一つだ。

それで、宿題の少ない休日で、体調もそれほど良くなく予定を入れなかったのをいいことに、youtubeを駆使して音楽の記憶を辿っていた。
当初は好きなバンドの曲をひたすら聴いていたが、ネットサーフィンのようなことをしているうちにNHK朝ドラの曲を聞きたくなってしまった。
だから、検索して聴いてみた。

高校のとき、朝の7時半からNHKの朝ドラが放送されていた。
それを見終わってから学校へ行くとちょうど良かったので、母といっしょによく見ていた。
それで朝ドラの音楽を毎日聴いていたから、特に気に入っていたものの主題歌などはよく覚えている。

今でこそ、一人暮らしを始めて朝にテレビを付ける習慣がなくなってしまった(もともと朝に朝ドラ以外のテレビを見るのはきらいだった)が、こういう風に音楽が私の人生の中で密かな存在感を持ち続けているらしい。

なんとなく選んだのが「おひさま」だった。

このドラマ自体はごく地味な物だと思う。
「陽子」という女性の人生を描いた物だが、他の「あまちゃん」などに比べるとテーマ性に乏しく、ぱっとどのようなドラマなのか説明するのが難しい。
だが、私はこれが好きだった。何故好きなのか、当時はわからなかった。

今になって、私はこのドラマの中に私に欠けている物を見いだしていたのだとようやく気づいた。
その欠けている部分は今の私にとって重大な問題で、日本を離れて留学生活を送る中で改めて別の角度から向き合おうとしているものだ。
高校生の当時は、何か問題があるのだろうと漠然と考えていたけれども、何が問題なのかわからなかったしわかろうともしなかった。

「おひさま」に出てくる人物たちがあまりにもひたむきで、彼らの生活を彼らなりに精一杯行きている姿に心を打たれた。
昭和初期の田舎のことだから、今の私よりもよっぽどアクセスできる情報の数も少なくて、生きている世界も狭いことだろう。
そんな中で、愛する人と共に一生懸命生きる姿を見て、涙が止まらなかった。

「フィクションなんて」とバカにするする人もいるだろう。
しかし、フィクションだろうとなんだろうと、目に見える物語の存在が私たち自身の物語を助けていることに、なぜ気づかないのか。
私たちは物語に自分の物語を投影し、時に涙しながら生きているのだ。

そんな物語があること、そして物語と向き合う時間があることに感謝しようではないか。

「おひさま」を見ていて、このドラマは昭和初期の日本の様子を外国人の日本語学習者向けに紹介するのにいいなとか、この雰囲気はなんとなくクウェートに通じる物もあるなとか、日本にいた頃には思いもしなかったようなことを考えるようになった。
そういう物の見方をするようになったというのも私の物語の一部であり、これからきっと重要な一部になっていくのだろうけど、今はそれに戸惑いを感じているのだということもわかってきた。

2014年11月1日土曜日

バス Oct 31, 2014 (Fri)

休講で一日暇になったので、クラスメートといっしょに買い物へ行った。
行き先は、クウェート最大のショッピングモールAvenuesである。

どうもクウェート大学の学生はクウェートの公共バスに無料で乗れるらしく、最近ようやくスクールIDをもらえたので、バスを試してみようということになった。
同行していたのは、韓国人の女子学生2人。二人ともバスに乗るのは初めてとのことだった。

寮から出て、道を2つ渡る。
クウェートには歩行者向けの横断歩道がほとんどないので、車の切れ目を注意深く渡って行かなければならない。
工事現場も構わず歩いて行くので、道を渡るとだいたい靴が泥で汚れてしまう。

道を渡ると、人がたむろしていた。
特に表示などは何もないが、そこがタクシー待ちスペース兼バス停である。
たむろしている人はインド人の労働者ばかりだろう。

ただ立っているだけでバスが止まってくれるわけがないというのがこの国の通例なので、タクシーを止めるのと同じ要領で目的地へ向かうバスを止める。
一応、Avenuesへ行くかどうかを運転手に尋ね、バスへ乗り込んだ。

バスに乗っているのはほとんどがインド人労働者だった。
運転手もおそらくインド人だろう。

バスは今までに通ったことのない道を通過して行った。
建物も本当にボロボロで、クウェート人の民族衣装を来た人の姿は一切ない。
友人は「ここ、たぶんインド人しか住んでないと思う。Oldな地区だよね」と言っていた。
ここはインド人しか住んでいないのに、看板の表記は全てアラビア語と英語の表記だ。
それを見て私は友達に「面白いし、strangeだよね」なんて話していた。
 
バスの車窓から。
私の知っているクウェートは、高級住宅街と近代的なビル群、時々ぼろぼろな建物くらいだったので、
これを見てたまげてしまった。

 

考えてみれば、このバスが移民労働者の居住地区を通過して行くのはごく自然なことだ。
クウェートは車社会で、大学生が自分の車を運転して通学するのは当たり前。
車両しか通行しない前提で街が作られているので、歩道はあまり見当たらない。
この公共バスは車を持たない移民労働者のためのバスであり、彼らの生活区域を通るような路線を走る理由はそういうことだろう。

バス自体もボロボロで、少々不安だったもののなんとか目的地に到着。
バスに乗ること自体は大丈夫だが、一人で乗らない方がいいねと友達と確認し合った。

Avenuesは近代的なショッピングモールであり、IKEAやH&Mも入っている。
私は冬服をあまり準備していなかったので、カーディガンや上着などを購入した。
日本と全く変わらない調子で買い物が出来、なかなか楽しかった。

平日であるにもかかわらず、人がかなり多かった。
もちろん、多くがクウェート人で、おそらくヨーロッパ人だろうと思われる人々も買い物を楽しんでいた。
家族連れも目立った。その家族にひっそりとくっつくインド人やフィリピン人と思しきナニーさんの姿がやたらと目についた。

夕ご飯を食べて帰ろうと話していたとき、たまたま一人で来ていたスペイン人男子のクラスメートに出会った。
合流して、4人でハンバーガーショップに入ることにした。

彼のスペインの話を聞きつつ談笑していたら、店員さんに話しかけられた。
「みんなどこから来たの?」と尋ねられたので答えると、「わぁ、いろんな国から。僕と同じだね、僕たちはファミリーだ」と言われた。

ハンバーガーショップなどの店員は、おそらくほとんどが東南アジア人だ。
彼の言葉には何となく好感が持てたし、クウェート人でもインド人でもない外国人と出会って、私自身もなんとなくシンパシーめいたものを感じた。

帰りはタクシーを使うことにした。
割り勘すれば一人200円くらいで乗れるので、日本よりも手軽にタクシーを使っている。
タクシーの運転手さんも、インド人かバングラデシュ人かパキスタン人だ。

「外国人にもいろいろある」ということ。これについては今後詳しく掘り下げてみたい。

2014年10月28日火曜日

相対化 Oct 27, 2014

こちらでの生活にもいい加減慣れてきて、今日は寮からのバスを利用し一人で買い物にも行ってきた。
カフェテリアで食べたい食事を頼むことすらもおぼつかなかった頃が懐かしくもある。
まだまだ慣れないのは、買い物する時に小銭を出すこと。
あと、まだ公営のバスに乗ったことがない。利用者はほとんど移民労働者なので決してバス内の治安はよくないらしく、一人で乗る気にはなれない。

何よりも大きいのはクラスの友達の存在で、特に女子は住むところもクラスもいっしょということでよく助けてもらう。
下手すれば、同じバスで学校へ行き、一緒に昼食をとり、同じ授業を受け、同じバスで寮へ帰り、また一緒に夕食をとることになる。
寮生活をしたことがなかったので、なかなかに新鮮だ。

私の所属しているランゲージセンターには世界各国から留学生が集まっている。
ざっとあげてみると、日本・韓国・中国・台湾・ベトナム・インドネシア・マレーシア・インド・イラン・タジキスタン・グルジア・アルメニア・ナイジェリア・ベニン・ポーランド・イタリア・スペイン・チェコ・ブルガリアなど。
こういう環境で、自分の「日本」というバックグラウンドを相対化せねばならないのは私に取ってよい経験なのだと思う。

打ち解けやすかったのはやはりアジア人で、特に韓国人の友達が多い(クラスが同じというのもあるけれど)。
そう書いてしまうと「アジア人はアジア人同士で固まる」と揶揄されてしまうかもしれないが、これはある意味必然だと思う。
近い文化を持った人々が集まるのは当然のことではないだろうか。
生活様式も宗教も似通っているのだから、理解するのは容易だし、相手に合わせるのも容易なのだ。

また、話を聞くということも大事なのだと思った。
タジキスタン人の友達から、「タジキスタンはアラブともイランとも違う独特のイスラーム文化があり、国民の大半はムスリムだけど、生活様式はロシアに近い」という話を聞き、なるほどと思った。
相手がムスリムだと知っていれば配慮すべきこともわかるし、またこちらのバックグラウンドを伝えておけば、ギャップが明らかになってしまったときにすりあわせることが出来る。

授業で学生が二人選ばれ、お互いの国についてトークするというデモンストレーションをやった。
どんな言葉を話しどんな民族が住んでいるか、どんな生活をしているかなど、またその国の歴史など、聞いていて面白いことがたくさんあった。
私は台湾人の男子とのトークだったので、正直なところ面白みに欠ける面はあったような気がする。

そのトークの後、ブルガリア人の学生から「相撲の琴欧州知ってる?」と質問された。
乏しいアラビア語で「琴欧州知ってる!日本で本当に有名よ」と答えたが、見知らぬ国とそういう風なつながりがあるのは嬉しい。

こちらに来て、日本というものがとてもポジティブに捉えられているということがよくわかった。
先生も、日本のコンピュータは有名だよねとおっしゃっていたし、先程エレベーターで出会った女子学生に日本人だと自己紹介したら、「私、日本大好きなの!」と喜ばれた。
自分の母国が世界中の人に知られており、かつポジティブに捉えられていることについては、知っておいて損はないと思う。
一期一会の人とはうまくいくこともあるから。

ただ、不快なのはこのアジア人の顔立ちが目立つせいか、つけられたり好奇の目で見られたりすることだ。
買い物を終えてバスを待っていたとき、明らかにナンパをしたそうにしている男性にイライラした。
日本人の友達と二人で歩いていてもつけられたことがあるので、本当にこの国では一人で出歩けない。

だからこそ、「クウェートの社会」という枠内よりも、ランゲージセンターのグローバルである意味画一的な雰囲気に安心感を覚えるというのはあると思う。

2014年10月25日土曜日

面白かった言葉たち Oct 25, 2014

箇条書きにて、失礼いたします。


*バスで女子学生にアラビア語で「このバスで私たち、シュウェイフに行ける?」と尋ねてみたら、「イー」という答えが返ってきた。これはクウェート方言で「はい」。フスハー(現代標準アラビア語)なら「ナアム」、エジプト方言などでは「アイワ」と返ってくる。

*寮の受付の女性が電話を取り、すかさず「アイワ」と応じていた。彼女はそのあたりの地域の言葉を話すのか、と納得。

*授業にて、単語の意味を問われた他の学生がアラビア語で「意味は……わかりません☆」と答える。先生、大爆笑。

*韓国人の友達と、「英語も勉強しなきゃいけないし、英語話そうか!」という協定を結ぶ。ここに来ている留学生はほとんどの人が流暢な英語を話す。ちなみにその友人はエジプト方言が上手。

*バングラデシュ人タクシードライバーの英語が聞き取れなかった。大した話はしていなかったはずだが……

*能動分詞と受動分詞の使い分けができず、苦しむ。

*ベトナム人の友人たちに休日出くわすと、必ずアラビア語で「今日何してた?」「これから何する?」と聞かれるようになったので、この手の受け答えは上手になった。先程、夕食を食べていたら、案の定。

*待ち合わせのために日本語で電話をかけていたら、ピーという音と共に話が英語に切り替わった。「???」となっていて、よくよく話を聞いてみたら、違う友達が私が話している途中に電話をかけてきたらしい。

*非日本語ネイティブの日本語。話すのはとても上手なのだけど、文章を書かせると助詞の間違いが目立つ。その点、文法をきっちり勉強している人は間違いが少ない。

*高校の時に日本語を勉強していたと言う韓国人に日本語を教える。「です・ます」「だ・である」の違いを教えるのに苦しんだ。

*クウェート人はエジプト方言を理解できるらしい。

*私は典型的な日本人なので、外国語は読み書きは出来ても話すのが苦手。なのでアラビア語も全く上手ではないが、Facebookに書いたアラビア語の文章を友達に褒められたのでちょっと嬉しかった。

2014年10月21日火曜日

天気とインフラ Oct 20, 2014

なぜだか身体が痛くて寝られず、その痛みが治まってから眠りにつくと、起きたのは昼頃。
あわてて飛び起きて準備したら、午前の授業が終わって帰ってきた隣人と鉢合わせた。
すると、「今日は砂嵐が酷いよ」とのことで、マスクをもらっていざ学校へ、お昼ご飯も食べていないから急ごう、と出発。

……しようとしたら、同じクラスの友達から「今日は休講だよ!やったあああああああ」というメッセージが届いていたのだった。

というわけで、今日は寮から一歩も出ずに過ごした。
クウェートの空気は基本的に埃っぽいが、おそらく雨が降らないことによるものだろう。
他の留学生の友達とも「雨、降ってほしいね」という話をしたことがある。

この砂嵐はおそらく前日から続いていた強風によるものだと思う。
風が強いなーなどとのんきなことを考えていたら、周辺の砂漠地域の砂がいつの間に吹き上げられていたらしい。
日本の黄砂など比べ物にならない天気だった。

学校へ行かなくてもよくなったので寮のカフェテリアで昼食をとろうとしていたとき、到着したばかりのポーランド人留学生と出くわした。
どこ出身なの、というお決まりの質問や授業の評判の話など簡単にして、ついでに外に出てみたら、マスクをしていてもやっていられないような空気。
到着したばかりの彼女たちは興味津々といった様子だったが、未だに喉風邪が治らない私は咳き込むばかりだった。

こんなことになっていました。
画像は一切加工していません。



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天気ばかりはどうしようもない。
他に仕方ないことと言えば、インフラである。

日本大使館で「クウェートは莫大な富を抱えている割に、それをきちんとインフラに回せていない」と伺った。
全くその通りで、一件豪華で綺麗に見える建物も以外と古く、立て付けが悪かったりする。
日本のような便座が温かくウォシュレットのついているトイレなど見かけたことがないし、寮のシャワーは電話ボックスくらいのタイルばりのスペースにシャワーがついているのみだ。

町に出てみると、明らかにボロボロの建物を多く見かける。
これはダウンタウンなのか、治安は大丈夫なのか、と疑ってしまうが、ただ建物が古いだけで特に治安の問題はなさそうだ。

断水や停電はたまに起こる。
この前の朝方、急に停電した。電気が切れたところで特に何も問題はなかったし、なぜかインターネットは使えた。
また、深夜にトイレに行ったとき断水していたのは非常に困った。

インターネットに関しても非常に遅いという評判だ。
今のところ、まだ学内LANしか試していないが、切れないはずの回線がすぐ切れるし、よく止まるのでSkypeは途中で途切れることを前提にやっている。
今もまたネットの調子が悪く、困っているところだ。

特に歩道は酷い。クウェートは「歩行者」という概念がほぼ皆無と言っていいほどの車社会だが、スークやショッピングモール、商店街、駐車場の周囲など人が歩きそうな場所には一応歩道が整備されている。
しかし、タイルが剥がれて砂がむき出しになっている箇所が多く、それならまだ白線を引いておいた方がマシではないのかと思うほどだ。
(だが、ラインを引いたところでクウェートの車はそれを無視して走行することだろうけど……)

女子寮から学内連絡バスのバス停まで、歩いて5分と少しくらいなので、平気で歩いて行く。
学校の敷地内と駐車場を通るので、駐車場の歩道を歩いて行くが、そこがボコボコなのでよく転ぶ。
だが、私がハイヒールを好んで履くのが問題なのは明白である。


クウェートで一番整備されているのは、やはり自動車の道路だろう。
どういう経緯でクウェートが車社会になったのかよくわからないが、車社会なので仕方がないと言うべきか。
バスに乗っていると、工事をしているのをよく見かける。
当初はクウェートでこれ以上何を作るのかと思ったけれども、道路を作るというのは納得だ。
これで渋滞が少しでも解消されてくれればと思うのが本音だ。


2014年10月20日月曜日

ネイティブ教師の授業 Oct 19, 2014 (Sun)

実は前々から「ネイティブ教師による外国語教育」という観点から日本語教育に興味があった。
だからと言って特別に何かを勉強したわけでもないが、ぼんやりと日本語教育の資格を取ってみようかなぁなどと考えていた。
日本での所属大学・学部が日本語教育に強いので、日本語教育に関する授業をいくつか取っていたし、留学生チューターのバイトもしたことがあるが、その程度。

今日はクウェートで日本語教師をしておられる日本人の先生にお招きいただき、日本語の授業にゲストとして出席してきた。
何人かは日本語が話せるという、比較的レベルの高いクラス。
自己紹介した後に日本語で質問をいただき、こういう風にほぼ全員から質問がきちんと出てくるのが日本とは違うなぁと思うなど……

自己紹介では写真を見せることにしていた。
と言っても、5月に長崎(それもメジャーな観光地ではなく、島や外海などへんぴな地域)へ行ったときの写真と、ラーメンの写真、大学で行ったイベントの写真、浴衣の写真……などを見せ、簡単に説明した。
長崎では神社と教会を訪れていたので、「これは神社です」と説明すると、先生が「神社と寺の違いがわからないのよねー」とおっしゃった。
こういうところでも言語を学んで行くのだなぁと実感。

どんな日本語を話したかというと、「やさしい日本語」だった。
日本で取っていた授業で触れたことのある「やさしい日本語」。
これは在日外国人に対して、災害時の緊急情報などを伝える時、確実に伝わるように易しい言い回しをした日本語の文書を発行するというもので、「やさしい日本語」と検索すれば情報が出てくるはずだ。
なぜ「やさしい日本語」が出てきたかと言うと、それは私がアラビア語の授業でネイティブスピードについていけずうんざりしているからであって……
というのもあるが、自分の発話を100%伝えたかったので、簡単な言い回しで話すことを心がけていたのだと思う。

授業を見学したわけではないので「日本語教育がどうこう」ということはあまり感じなかったが、日本で勉強した「目標言語と教室内で共有している言語を使う比率」に関して気を使わなければならないということを実感した。
先生がずっと日本語で発話しておられ、難しいところのみ英語で説明されていたので、私もそれに倣って「講演会」など難しい単語のみアラビア語に置き換えて紹介した。

それでは、アラビア語の授業はどうかと言うと、初級・中級・上級のうち私の受講している中級クラスは全てアラビア語で授業が行われる。
何人かついて行けていない学生が出てくるのは事実だが、全て目標言語(習得しようとしている言語)で授業を行うことの良い点は、「目標言語を話す」という雰囲気が自然と出てくるところだと思う。
普段、授業内では少々複雑な単語の意味を説明するとき以外は全てアラビア語なので、先生に授業とあまり関係のない用事(病気で授業を欠席しますなどの事務連絡)でも「アラビア語で話しかけなきゃなぁ〜」と自然と思ってしまう。
また、同じ授業を取っている友達とはアラビア語で話そうかな、という気分にもなってくる。
英語の方が話しやすいのは明らかだが、クラスにそんな雰囲気があるせいだろうか、友達と宿題の話をしていたとき、使った言語はアラビア語だった。

ネイティブ教師による授業で最も難儀なのは文法ではないか思う。
初学者向けの授業にも出席していたが、活用や格変化をすべて英語とアラビア語で勉強していくのは大変そうだと、日本人の友人たちを見ていて感じていた。
日本の大学でお世話になっている先生から「アラビア語について、あなたがこの大学で学んだこと以上のことはたとえアラブに行ったとしても学べないからね」と言われた。その時はそれは大げさではないかと思ったが、今となってはそれがよくわかる。
クウェートで良い点はアラビア語そのものを学ぶことが出来る点ではなく、四六時中アラビア語に触れられる環境が与えられることだ。

一番苦労しているのは、文法用語も当然アラビア語であることだ。
日本語か英語で言われたらわかるのになぁ……と思うことがしばしばある。
まず時制もアラビア語で言われたら冷や汗もので、その上動名詞や分詞……
(かなりブルーなので、アラビア語の文法用語を一覧できるサイトなどあればお教えいただければ幸いです。)

今日授業で扱ったのは、イウラーブ(اعراب)。
日本でイウラーブという語が出てきた時に「母音記号を付ける」という意味が出てきて何となく面食らったのを思い出すが、要するに格変化だ。
アラビア語で動詞以外の単語は語末の母音を変化させることで格変化させる。
普通は語末の母音を省きながら話すことが多いが、今回の授業は語末の母音をきっちり発音し、正しい格変化が出来るかどうか確認した。
アラビア語の文型はVSOなので、文の後ろの方に主語が来ることもしばしば。今日は見事に引っかかったので、とても残念でした……

ただ、こういうことまできっちり教えるのが語学教師の仕事なのだとふと思った。

2014年10月18日土曜日

クウェートで、大切なこと Oct.16 2014

クウェートも季節の変わり目(と言っても連日30度近くの気温だが)で、風邪を引いてしまったので部屋で大人しくしている。
軽い風邪なので、休日ゆっくりすればすぐ治るかなと思っているところ……

時間を経るたびに授業が難しくなるのにはすっかり閉口しているが、クラスメートの助けもありなんとか着いて行っている。
自分はこのクラスの中でもアラビア語能力が低い方なのだから、もっと勉強しなきゃと自分に発破をかけるも、風邪でダウンしているのがとても残念な週だった。

日本にいる時から自分の性格はわかっているつもりだったが、こちらに来て、やはり私は人間関係の点で不器用だと思った。
本当に、友達が出来るまで時間がかかった。
こちらで友達を作るのに一番大きかったのは言語の壁であるのは間違いない。
英語もアラビア語もそれほどうまくないので、なかなか話しかけられなかった。

それでも最近になって、英語もアラビア語も前よりはうまくなったので、話しかけることが出来るようになってきた。
その服いいね!だとか、たわいもないことだけれども、これを言うのと言わないのとでは、関係性に大きな違いが出てくることがよくわかった。

だからこそ、私に話しかけてきてくれた友達には心から感謝している。
私もそう出来る人でありたいし、話しかけられるように外国語の能力も身につけなければならないと思う。

会話の中で、たくさんの褒め言葉を使う。
授業でも、先生はうまく答えられた学生を様々な言葉で褒めてくださるので、自然と私も褒め言葉を身につけることができる。
それを何となく会話の中で使えるようになり、コミュニケーションがうまくいく……という理想の循環。

あともう一つ、クウェートで大事なこと。
あくまでも個人的な意見だが、女性は「結婚指輪を身に着ける」ことが大切だと思う。

クウェートで、日本人はやたらとモテる。
そもそも、アジアから外に出ると美醜の基準が日本とは違うので、日本ではモテなかった人ですらもかなりモテる可能性がある。
ついでに言うと、親日家や日本に対してポジティブな印象を抱いている人が多いので、日本人というだけでプラスになる。
クウェート人の男性はガツガツしているので、日本の「草食系男子」はかなりモテるという話もどこかで聞いた。

それがうっとうしいのであれば、最初から結婚指輪のダミーを身につけていればいい。
既婚者であれば恋愛対象にはならないので、ダミーの結婚指輪はあった方がいいと思った。

他の留学生女子と「クウェートで服買うと高いよね〜」というたわいもない会話をしていたとき、「“クウェートの彼氏”を作りなさい」なんてことを冗談めかして言われたが、実際のところクウェート人は基本的にお金持ちなので、おごってくれる人が多いことだろう。
クウェート人に貢がせている留学生女子もいるらしい、などという話も友達から聞いた。

ただ、クウェートは狭い社会で家意識が強いため、うかつに踏み込んだ関係になると「どこどこの息子が○○人と〜」という話が筒抜けになってもおかしくないと私は予想している。
そんな事態になるくらいなら、既婚者のふりをし、学校で勉強に励む方が有益な時間の使い方だ。

2014年10月15日水曜日

荷物の受け取り Oct.15, 2014 (Wed)

両親に日本から荷物を送ってもらった。
住所を寮にしておいたところ、局留めになっていると寮に連絡が入ったので、郵便局へ受け取りにいった。

郵便局は女子寮のすぐそば。
友人と共に朝早くから寮へ向かう。
寮の受付で渡されたメモ用紙を持ち、どこで受け取れるのかとしつこく聞いて回り、なんとか受け取りのオフィスへ。

すると、「スタンプを買ってこい」と言われる。
どこで買えるのか尋ねてみたところ、病院で買えるとのことだった(何故病院でスタンプを販売しているのかは不明)。
車はあるのかと聞かれたので、持っていない、友達も持っていないととりあえずだだをこねた。
他に荷物の受け取りにきていた人に尋ねてみたところ、病院はギリギリ徒歩圏内だったのでなんとかなりそうだと判断。

一緒に来ていた友達が学校へ行ってしまったので一人で病院に向けて歩いていると、車に声をかけられた。
こういうとき、100%着いていってはならないのだが、あまりにもしつこかったので話を聞くことにし、ついでに病院まで乗せてもらった。
クウェートにも親日家は多く、日本人だというだけで親切にしてくれる人は多い。
ただ、今回はあくまでもラッキーなケース。常識的に考えて着いていくべきではない。

車に拾われたおかげでスタンプを難なく手に入れたので、再び郵便局へ(車を出してもらいました)。
また同じオフィスへ行き、寮で渡されたメモとスタンプとパスポートを見せ、待つこと15分ほど。
荷物は開けられてしまったが、なんとか受け取りが出来た。
心無しか、他の人より待ち時間が短かったのは気のせいか。日本からの郵便物は信用度が高い。

ここまでかなりの時間がかかると予想できるようになった当たり、成長を感じる。

2014年10月12日日曜日

休暇明け Oct 12, 2014 (Sun)

クウェートは日曜日から木曜日が平日なので、今日でイード休暇が明けた。
イード休暇はおいしいものを食べたり遊んだりと、のんびり過ごすことが出来た。
それと同時に、ゆっくりと考え事をする時間も出来たので、なんとなく今後の方向性についても考えをまとめることが出来た。
「留学したら気持ちが変わる」とよく言われていたが、全くその通りだと思う。
考える時間は、思っている以上に必要。

というわけで、勉強の日々が再開。
今日はこちらへ到着したばかりの学生を案内したり、スケジュールを説明したりしていたらずいぶんとバタバタした。
案の定放置されていた宿題(難しい)をなんとか終わらせ、いつも通り16時から授業。
宿題は、一つ詩を選びそれについて記述することでした。
私は古典の詩からチョイス。アブー・ヌワースの「あなたは私の心を目一杯傷つける」という詩を選んだ。
先生は「美しい詩だ!」とおっしゃっていたけれども、半泣きの状態で訳したのだった……

今日の授業は「イードおめでとう!」から始まり、先生からお菓子をいただいた。
イード中、あまり勉強はしていなかったが、他の留学生とアラビア語で会話していたので(簡単な会話しかしていないが)、心無しか前よりもアラビア語がすらすら出てきた気がする。
発言してみたら先生が嬉しそうだったので、どれだけ私は心配されていたのか……

今日の授業は動名詞について。
アラビア語の動名詞・分詞は非常に複雑で、日本で勉強してもあまりわかっていなかったので、非常にためになる。
毎日1コマ90〜120分の授業だが、ゆったりと濃い内容でかなり楽しんでいる。

大量のリーディング課題に文句を言いつつ、クラスメートたちと寮に戻る。
明日はランゲージセンターで文化交流イベントがあるらしく、それに向けての準備にも追われており……
その準備を投げ捨ててこんな文章を書いている。

私は語彙が圧倒的に足りないので、予習復習と言えばほとんど語彙を入れることに終始してしまうため、がんばるベクトルが少々違う気もするが、語彙は何よりも大事なもの。
順調に増やしていかねばならない。

日本でお世話になっている先生から、「クラスに日本人がいないのは幸いです。寝ても覚めてもアラビア語の環境というのは重要です」と半ばお叱りのようなメールをいただいたので、クラスに日本人のいないこの環境でしっかり揉まれようと思っている。
一つ甘えるとすれば、多少日本語訳が間違っていたとしても誰にも何も言われないことくらいだろうか……(そういう問題ではない)
こうやって、日本でもクウェートでもアラビア語の先生に心配していただけるのはありがたいこと。
不思議な縁でアラビア語を勉強することになったが、「よきアラビア語話者」となれるよう、よりいっそう努力したいと気持ちを新たにした一日だった。

2014年10月8日水曜日

アバヤを買う Oct 8, 2014 (Wed)

友人の用事についていく名目で、スーク・ムバラキーヤへ行ってきた。

スーク・ムバラキーヤはクウェート最大のスーク(市場)であり、雰囲気はさながら繁華街といったところ。
クウェートの民族衣装の店や香水の店が所狭しと立ち並ぶ。
女性のアバヤなどは他のショッピングセンターなどでも購入できるが、ここで買うのが一番安い。
アラブの伝統的な市場の雰囲気を体験したければ、ここへ来るのがいいだろう。

ちなみに、ここには両替所がいくつもあり、身分証明なしで両替が可能だ。
通常は身分証明をして(市民IDか、市民IDがない人はビザとパスポート)両替する。
ただ、スーク・ムバラキーヤの両替所は他に比べて少々レートが悪いような気がする。

私はアバヤが欲しかったので、友人を待つ間にアバヤの店に入ってみた。

1つ目のお店は、店員が何を言っているのかさっぱりわからなかったので、これはあまり長居すると面倒なことになりそうだと早々に退散した。
おそらく、インド系の人だったのだろう。
インド人の英語は全くわからないとよく言うが、本当にその通りだ。それ以前に、何語をしゃべっているのかさっぱりだった。
情けない話だが、正直なところよくある話だ。

そんなわけで隣のお店に入ってみた(アバヤのお店が2つ隣り合っていて大丈夫なのか……)。
こちらの店員もインド系の人だったが、かろうじて聞き取れる英語で話してくれた。
お店には他に客がいた。椅子に腰掛けていたので店の関係者なのかと思ったが、話してみるとどうやらお客さんであるようだった。

お決まりのアバヤ・へジャブ・ニカーブで顔をしっかりと隠した彼女は、凛とした話し方をしていた。
「このアバヤはチャイニーズスタイルだ」と、チャイニーズスタイルと言うよりは日本の着物のように前身頃が左右に分かれているタイプのアバヤを勧めてきた。
いやいや、私が欲しいのはアラブ風のアバヤだと言えば、どれがいいのだと彼女と店員は私にしつこく尋ねる。
15KD以上は払いたくないなと渋っていると、彼女は「私が安くしてあげる、10KDだ」と言い放ち、去っていった。

女性がいなくなった後、ゆっくりとアバヤを選んだ。
あまり時間もなかったので手前にあったものを出してもらうと、金色の刺繍があしらわれた豪華なアバヤが何となく気に入ったので、とりあえず買うことにした。
「これも10KD?」と一応確認すると、そうだということで私は内心ガッツポーズ。
定価は17KDだそうだ。7KDは日本円にすると約2600円なので、かなりラッキーだった。
こちらのアバヤを購入。日本円で約3700〜3800円。安いです。
 おそらく客の女性はその店のお得意さんだったのだろう。
顔が利く人に出会えてラッキーだった。

ここは中東だ。何が起こるかわからない。

2014年10月7日火曜日

「いただきます」「ごちそうさま」 Oct 7, 2014 (Tue)

寮や大学のカフェテリアで食事をとりながら周囲の人を観察していると、食べ残しが目立つのが気になる。
到底食べきれないような量を盛られてしまうので、私も食べ残すことがあるのだけれど。
大量に盛られた料理をほとんど残してしまう人もいるので、いつも「もったいないなぁ」と思っている。
クウェートのレストランで食事をしたときもそうだった。食べきれない量の食事が出てきて、結局残した。

そんな風にして、私は「食べ残す」という行為にどんどん慣れている。
食べ残すことに慣れつつある自分に嫌気が差してくることもあるが、食べきったら脂でおなかを壊してしまうので、自分の身を守るために食べ残す。

だからかどうかはわからないが、食事の前後に「いただきます」「ごちそうさま」を欠かさないようになった。
特に寮で食事をしていると、周囲は文字通り外国人ばかりなので、「いただきます」の習慣がない人が多い。
その上、寮の食事が合わなくて苦しんでいる人が多いというのは、また別の話か。

寮の食事は奨学金でまかなわれている。
だから、どれだけ食事が身体に合わなかろうと、食事なしには生きてゆくことの出来ない身なので、食事への感謝を表す最も簡単な言葉である「いただきます」「ごちそうさま」をこまめに言うようになったのだだと思う。

飽食なのかどうかわからないが、大量に食べ残す人を見て、食べるという行為については考えさせられるものがある。
この人たちは食べ物を大事にする気持ちがないのだろうか、消費することに対して何も思わないのだろうか、と。
クウェート人はもちろん、こちらに来ているアフリカ人などお金持ちが多いので、もしかしたら彼らは消費することに抵抗がないのかもしれない。

そんな空気に対抗するかのように、私は「いただきます」「ごちそうさま」といちいち手を合わせる。

アラブ文化圏では、「いただきます」の代わりに「ビスミッラー(باسم الله)」、「ごちそうさま」の代わりに「アルハムドリッラー(الحمد لله)」と言うそうだ。前者は「神の御名によって」、後者は「神に讃えあれ」というイスラームの決まり文句で、食事に限らず何かを始めたり終えたりする時にこの言葉をよく使う。
イスラームと生活は不可分のものなのだなと、こういう現場に出くわすといつもしみじみ思ってしまう。

2014年10月5日日曜日

クウェートの接客 Oct 5, 2014 (Sun)

今日は他の日本人留学生といっしょに、大使館の方や日本滞在歴の長いクウェート人と昼食会だった。
クウェート随一の高級レバノン料理店。ケバブなどの定番料理をいただく。
とてもおいしかった。が、日本人の胃には重たい料理です……

そして、クウェート人の車でサルミヤ地区のCity Centerへ。
サルミヤ地区は外国人の多く暮らすとてもオシャレな、日本で言うところの表参道のような地区。
City Centerはクウェートのチェーン店で、クウェートにはどこにでもある庶民的な店だ。
メインはスーパーマーケットだが、サルミヤ地区のCity Centerには専門店も一部入っている。

ここにはダイソーが入っていたので、とりあえずダイソーを見学。
日本のダイソーと大差ない。というか、そのまま輸入しているのだろう、全く同じ商品が並んでいた。
ただ、こちらのダイソーは600Fils(約230円)ショップなので、注意されたい。
アラビア語で「ダイソー」と書かれています

ダイソーで、ディシュダーシャ(クウェートの男性が着る衣装)の男性から急に話しかけられた。
「君は日本人なのか」と尋ねられたので、そうだと答えると、彼は空手をやっており、日本にすごく興味があると話してくれた。
こちらで男性が下心なくわざわざ女性に話しかけることはあまりない。
私が外国人だというのもあったのだろうが、急にそのように声をかけられて面食らいつつも、こういう出会いっていいな、なんてふと思ったのだった。
その後、他の日本人たちといっしょにいるところでまた彼と出くわし、彼のお嬢さんが無邪気に「シュクランって日本語でなんて言うのー?」と話しかけてくれたのが嬉しかった。

一日にして高級店と庶民的な店の両方を回ったわけだが、接客の質はどちらも大差ないし、それで特に不快な思いをすることはなかったように思う。
クウェートの接客には変な恭しさがない。
私の海外経験は乏しいので、あくまでも日本と比較してということではあるが。

私が外国人だからか、買い物をしていると気軽に声をかけてくる店員が多い。
「チャイナ?」「どこから来たの?」「(本屋にて)何を探しているの?」「アラビア語話せる?」「クウェートにはどのくらいいるの?」などと気さくに話しかけてくる。
私もそれに対してアラビア語なり英語なりで応えるわけだが、このようなやり取りは心地よい。

思えば、日本ではこんなことはめったになかった。
コンビニでの丁寧だけれども機械的な応対に違和感を覚えることの方が多かった。
大阪に住んでいた頃はたまにあったけれども、それは「大阪らしい」と片付けられてしまうような行為だろう。

このように会話を楽しみながら接客するということは、働くことを楽しむこと、ひいては生活することを楽しむことにつながらないだろうか。
働くことはなんだかんだ言ってみたところで生活の大半を占めることになる。
それをがんじがらめの接客ルールで縛ってしまうよりは、気楽に会話を楽しみつつ、nobleな振る舞いが出来るのが理想であるような気がするのだ。

私はずっと繰り返しているが、クウェートには外国人の労働者が多い。
最も多いのは見たところインド系の人だが、アラブの他の国やフィリピンなどからも労働のための移民が来ている。
彼らは働くためにクウェートにやってきているわけで、その「働く」という行為が楽しくなければ生活はたちまち立ち行かなくなってしまうだろう。

インド系の労働者は言葉にせず、ジェスチャーで伝えようとしてくることが多いので、その度に私は「ちゃんと言ってよ!」とイライラしてしまうのだが、おそらく言葉が不自由な人もいるだろう。
言葉の通じない、しかもクウェートという母国と全く違う世界で働くのは心細いことだと思う。

だが、そういう外国人が楽しそうに客と会話を楽しみながら働けるのは、クウェートのホスピタリティ溢れる精神に支えられているのではないだろうか。
クウェートに来てあちこちで受けたもてなしを思い返しながら、そんなことを考える。

2014年10月4日土曜日

犠牲祭休暇をのんびり過ごしながら Oct 4, 2014 (Sat)

犠牲祭休暇2日目。
特にこれと言って何かしたわけでもないけれども、犠牲祭が一体何なのかあまりわかっていないことに危機感を抱いた。
羊を屠る、くらいの事前知識しかないのはさすがにまずい。
Wikipediaなどで簡単に調べたので、ブログにまとめてみる。

犠牲祭・イード(عيد الأضحى)
イスラームの祝日。
アブラハム(イブラーヒーム)が息子のイシュマエル(イスマーイール)を神に捧げたことを記念する行事。
これについては旧約聖書の創世記にも記述がある。

神はイスマーイールの命を救う代わりに羊の犠牲を受け入れたので、犠牲祭では羊を屠る儀式が行われる。
もともと、犠牲祭はハッジ(巡礼)の最終行事として行われるが、ハッジに参加しないムスリムも羊を捧げて犠牲祭を祝う習慣がある。

もちろん私はムスリムでもないし、今後イスラームに改宗する予定もないので、私にとっては「休暇があってラッキー」くらいの感覚ではあった。
そのため寮から一切出ていないので、実感と言えばアザーンがいつもより長いなぁと思った程度だった。
あと、私は羊の屠殺シーンを見たくなかったので、出歩かないのも賢明だったかもしれない。
だが、この国にいて休暇とばかりに遊んでいるのも馬鹿らしいので、こんな文章を書いている。

イードを祝う言葉として、「イードムバーラク(عيد مبارك)」という表現をよく使う。
Facebookではこの挨拶やイードのポストカードの画像が盛んに投稿されていた。

外国人で異教徒という身だと、いくら日本でアラブ文化に親和的な環境にいたと言っても、文化差に面食らうことがたびたびある。
それはこれまでも文章で紹介してきた通り、男女の空間をきっちり分けることだったり、女性が身体をきちんと隠したりするといった、ごくごく日常的な場面だ。
日本で井筒利彦の『イスラーム文化』を読んだ時に「イスラームは聖と俗を分離しない」という記述があったのにはっとしたのを思い出す。
キリスト教などでは教会や寺、神社を聖域とし、その場で宗教的行事を行う。
イスラームでは日常に聖が混在しているので、日常が全て宗教的な要素を含むのだ。
だから宗教的な考え方に基づき、空間を分けたり女性がアバヤを着たりする。

それをきちんと理解せず、「イスラームだから女性は髪を隠さなきゃ」と短絡的に考える日本人のなんと多いことだろう。
もちろん、私にも受け入れられないイスラームの文化はある。
逆もまた然りだ。自分の意見と立場と信条をわきまえた上で、誠実な振る舞いをせねばならないと思った。

先日、携帯電話に不具合がありショップを訪れた時のことだ。
店員がエジプト人の男性だった。残念ながら、会話は英語。彼のアラビック・イングリッシュに四苦八苦しながらの会話だった。

私が日本人だという話をすると、「君たちはカツを食べるのか」と尋ねられた。
「カツ?豚肉のことだよね?」と確認するとそうだと言うので、「そりゃ食べるよ、だって私はムスリマじゃないもん」と答えると、「うわー本当か、ありえない」という反応だった。
そんなものだと思う。自分たちの文化に否定的なまなざしを突きつけられることなんていくらでもある。
それに対して柔軟に、なるべく違う文化を持つ人々を傷つけない対応の出来る人間でありたいと思う。

2014年10月3日金曜日

シーシャ初体験とクウェートの本屋さん Oct 2, 2014 (Thu)

せっかく中東に来たのだから、一度は体験してみたいと思っていたシーシャ(شيشة)。
先日、他の日本人留学生に誘われてシーシャを吸いに行った。

シーシャの仕組みがよくわからなかったので、後になってからではあるがWikipediaで調べてみた
どうやら、フレーバー付きのタバコの葉に熱した炭を載せて燃やし、水を通して吸引する水タバコであるらしい。
もちろん、シーシャがタバコの一種であることは知っていたので、タバコ嫌いである私は「多分私はシーシャ苦手」と思いながらの初体験だった。

案内してくださったのは、大使館の方のご紹介で出会ったクウェート在住の日本人。
満員の車でまずはハワッリー(حولي)地区の本屋さんへ向かう。
クウェートの本屋さんはどれも残念……ではなく日本のものに比べたらずいぶんと規模が小さい。
クウェート最大と言われるこのジャリール書店(مكتبة جرير)も、せいぜい駅前の少し広めの本屋さん位の規模だった。
日本で大学の先生に頼まれていたクウェート方言のテキストとアラビア語の会話集、ナギーブ・マフフーズの小説、クウェートの地図を購入して買い物終了。

とりあえず本が近くにないと落ち着かない私としては、本屋さんが充実していないのは残念この上ない。
購入した本。良いディスプレイ……そのうちちゃんと読みます。
Speak KuwaitiとLearn Kuwaitiは日本で大学の先生に購入してくるよう頼まれていた。

その後、ジャリール書店のあるハワッリーパーク内で簡単に夕食。
クウェートではお昼ご飯を一番たくさん食べるので、夕食をしっかりとる人は少ない。
典型的な日本の食生活を引きずっている私たちはハラペコだったが、ファストフードをお腹いっぱい食べた。
私はケバブのセットを注文した。1KD(約380円)でお腹いっぱい食べられたので大したものだ。

ハワッリーパークを出てシーシャの店へ。
どうやら室内で吸うか室外で吸うか選べるらしい。
正直なところ屋外がよかったが、まだ外でシーシャを吸うには暑いので(おそらく気温は35度前後)、室内で吸うことになった。

シーシャの店はやたらとアングラな雰囲気が立ちこめていた。
入った瞬間に「あ、ここ大丈夫かな」と一同感じていた空気があった。
また、男性4人女性2人の計6人組であった私たちは、クウェートにありがちなことではあるが案の定目立っていた。
男女含めたグループはこの店にはいなかった。

アングラな1階にビクビクしてはいたものの、混んでいたため2階に案内されて一同少し安心する。
1時間弱ほどしか時間がなかったので、シーシャを3つ頼んで回して吸うことにした。

選んだフレーバーはレモン・グレープフルーツ・アップル。
ドリンクも頼めたので、一人を除いて全員ホットティーを注文。一人はマンゴージュースを注文した。
シーシャの装置を運んできた店員はエジプト人だった。

マウスピースを交換しつつ、シーシャを回しながら吸う。
案内してくださった知人に勧められ、レモン味を吸ってみたところ、案の定咽せた。
初心者は少しずつ吸って、ゆっくり吐き出すとよいらしい。
シーシャの装置。
たっぷり吸いたいのでなければ、マウスピースだけ個人で持って、回して吸う。

慣れてくるとシーシャの香りがなかなか心地よかった。
ただ、さすがに「タバコ」であり、正直なところあまり長く吸ってはいられないという感想。
女性陣は少しシーシャが苦手なようで、それよりもマンゴージュースをおいしくいただいた。

個人的には、シーシャは好んで吸いたいというほどのものでもないが、たまにならぜひまた吸ってみたいかなという程度。
お酒を飲む文化のない中東で、シーシャはバーのような立ち位置を占めているのかもしれない。
シーシャを吸いながらする会話はまた違った趣があることだろう。


2014年9月30日火曜日

〈エッセイ〉境界を意識する Sep 30, 2014

先日、クウェート人女子学生の家に招かれた。
留学生の支援団体を主催している学生たちがホストになり、私たち留学生を家に招待してくれたのだ。
クウェート人はさすがお金持ち、宮殿のような家で、おそらく20人以上は集まっていたのだろうと思う。
ただし、その場にいたのは女性だけだった。
正確には、ホスト学生のお姉さんの子どもが唯一の男性としてその場に存在していたけれども、男性は本当にその赤ちゃんのオマルくんしかいなかった。

イスラームでは男女の世界を明確に区別するので、こういったパーティーなどは必然的に男女別で開催される。
女性が集っている場に男性が姿を見せることはない。
日本で言うところの「女子会」が行われるわけだが、面白かったのはクウェート人の女子学生たちがいつも身に付けているアバヤやへジャブを身につけていないことだった。
彼女たちは我々非ムスリムの外国人と同じように、思い思いの服を着ていた。

クウェートにいて、真っ黒なアバヤとへジャブを身に纏ったまるで魔女のような女性を見慣れ始めていたからか、なんとなく不思議な心地だった。
それと同時に、アバヤとへジャブは必要ない世界に入り込んだのだと、私は境界の中にいるのだと実感していた。

クウェートにいると、日本にいる時以上に境界を意識する。

「境界」という単語でいつも思い出すのは梨木香歩さんのエッセイだが、日本に本をあらかた置いてきてしまったので読み返すことが出来ないのが残念だ。
梨木さんは世界の家を例に出し、境界について考察していた。
日本は塀で境界を明確にし、イギリスは生け垣で独特な境界を作り、アメリカは家と家との境界こそ曖昧にするものの、銃を用意することで家を守ると言う。

ではクウェートはどうかというと、かなり明確に境界を作っているように思う。
住宅地を歩くことが少ないので家に関してどうだったか忘れてしまったが、大学のキャンパスの周囲は塀と有刺鉄線で囲われている。
有刺鉄線なんて、日本で最後に見たのはいつだろう。

カフェテリアも図書館の座席も男女別というイスラームの国に暮らしていて、私はつくづく境界を作るのが下手だと思う。
日本で私は境界を作る必要のない生活をしていた。
区別すべきは男女ではなく個人であり、相手によって距離感を決め、場合によっては明確な境界を定めていた。
個人主義とはこういうことなのだろう。

学校帰りのバスで、ベトナム人の男子学生と女子学生が隣同士の席に座っていた。
恋人だとか友達だとかそういうことは一切関係ない。日本でも同じことだ。
だが、クウェートではまずそのようなことはあり得ない。異性の隣の座席にわざわざ座ることなど、絶対にない。
だから、この光景をクウェート人や他のムスリムが見たらどんなことを思うだろうかとぼんやりしてしまった。

また別のバスに乗っているときのことだ。
その日のバスは満員だった。例によって前の座席に男性が、後ろの方の座席に女性が座っていた。
途中で女性がバスに乗ろうとしてきたが、空いている席は男性の隣の補助席だけだった。
普通なら座るだろうが、その女性はバスに乗るのを諦めてしまった。
私が男性の隣の補助席に座ってもよかったのだが、男性がムスリムだったら私が横に座ることをよく思わないかもしれないし……などと後からもやもや考えただけだった。

バスのように越えてはならない境界もあるが、クウェートの女子会のように越えてもよい境界もある。

日本で所属していた大学で障害者支援のバイトをしていたとき、よく他学部の授業に出席することになっていた。
もちろん、他学部の建物に入らなければならないわけだが、「なんとなく自分の居場所ではない雰囲気」にいつも戸惑いつつ、バイトに向かっていた。
それと同じで、クウェート大学の他学部の建物にはなんとなく入りづらい雰囲気を感じる。
明らかに外国人である私が学部の建物をうろついていると目立つという理由もあるが、日本で感じていた「なんとなく自分の居場所ではない雰囲気」まさにそれだ。
このくらいの境界なら飛び越えてしまっても問題ないだろう。
よく食事をするカフェテリアの近くに社会科学部と法学部の建物がある。
なかなか素敵な建物だ。いつか探検してみたいと密かに思っている。

【お知らせ】All Aboutに新たに2記事掲載されました!

本ブログの記事がAll Aboutのnews digに新たに掲載されました。

クウェートの女子トイレ事情
中東地域だからこそ気をつけたい。クウェートでの体調管理

また、All Aboutでご掲載いただいているプロフィールはこちらです。
 プロフィールの内容自体は大したことを書いているわけではありませんが、All Aboutに掲載されている本ブログの記事を一覧できます。

当初予想していたよりもたくさんの記事をご掲載いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
1ヶ月近く生活していると慣れてくるのはよいのですが、新しい発見も少なくなってきてしまいます。
さらにアラビア語の勉強ばかりしていると地味な毎日を送ることになり……
その割に時間だけはあるので、毎日のんびり寝ていたり、といったところですが、ちょうど犠牲祭休暇もありますし、執筆活動にも励みたいと思っています。

他の留学生のように「留学生活楽しむぞー☆」とはいかない私の留学生活ですが、少しでも日本の皆様になにか還元できたらという思いだけは持ち続けています。

2014年9月27日土曜日

【お知らせ】本ブログの記事がAll Aboutに掲載されました!

本ブログの記事がAll Aboutのnews dig——事情ツウたちの時事コラムに掲載されました。
クウェート留学生は考えた「なぜクウェートにはインド人労働者が多いのか?」
クウェート留学生が体験した「アラビア語と英語の使い分けの難しさ」 
男性に接する機会の少ない「クウェートの女性たち」

前々から掲載の申し込みはしてありましたが、いざ載せてもらえるとなると嬉しいものですね。
これからもそれを励みに書き続けたいと思います。

こちらに到着したのが土曜日なので、ちょうど休日が区切り。
クウェート生活4週目の始まりです。
目標を立てつつ、だれないように過ごさなければと思います。

髪の毛にシーシャの香りが染み付いている、、、

2014年9月25日木曜日

アラビア語の授業  Sep 25, 2014 (Thu)

保道が大学に入って以来最もアラビア語をがんばっていると言われている(?)
左は日本でも愛用していたアラビア語ー英語辞書。
クウェートに到着して3週間。
こちらでのメインの活動である「アラビア語学習」について。

私たち留学生はクウェート大学文学部付属のランゲージ・センター(مركز اللغات)に所属し、授業を受けることとなる。
昨年度までは初級・中級・上級の3クラス編制だったと聞いていたが、今年度はまず全員を初級に割り振り、その中でlevel 1とlevel 2の2つのクラスを設け、各自の能力に合わせてクラスを選ぶことになった。

level 1はほぼ初学者向けなので、日本でアラビア語を(曲がりなりにも)専攻していた私はlevel 2を選ぼうと思ったが、level 2の学生があまりにもハイレベルなアラビア語力の持ち主だったので、まったく太刀打ちできず、断念。
ひとまずlevel 1を受講した。
level 1が初級、level 2が上級と言ってもほぼ差し支えない状態だった。

そして、授業2週目のはじめにクラス分けのテストが行われた。
さらにこの週の途中から3クラス編制になると知らされる。
level 1~3の3クラスが開講されるとのことだったが、事実上、新しい先生を招いて初級と上級の間に中級クラスを新設することとなった。
私はテストで中級クラスに数点及ばなかったものの、どうやら交渉したら簡単にクラスを変えてくれるらしい。
というわけで先生に交渉し、中級クラスを受講することに決定。私の他にも数人このような学生がいた。

中級クラスの授業は全てアラビア語で行われる。
内容は比較的平易なもので、自分の生い立ちをアラビア語で話したり、住んでいた街についての文章を作ったり。
扱う文章の内容も、もしかしたら日本でやっていた文章の方が難しいのではと思うほど。

中級クラスのM先生は決して英語を受け付けてくれないので、私もなんとか拙いアラビア語で彼とコミュニケーションをとることになる。
同じクラスの友達が体調を崩し欠席の伝言を頼まれていたが、なんとか「病気」「病院へ行く」という表現を駆使して伝えることが出来たと思う。
このクラスで明らかに底辺レベルの私を、先生は気遣ってくださっているようで申し訳ない気持ちもあるが、アラビア語力よりもきちんと勉強する姿勢を大事にしてくださる先生だ。
先生の姿勢に応えてというわけではないが、宿題だけは必ずきちんとやるようにしている。
といっても、宿題に何時間もかかってしまっているわけだが……

このクラスに日本人は私だけ。
あとは本当に世界各国からの学生ばかりでなんともグローバルな雰囲気だ。
そんな私たちがアラビア語を共通言語としているのはなかなかに面白い環境ではないだろうか。

「アラビア語でアラブの人たちとコミュニケーションをとりたい」という明確な目標のもと、これからもがんばろうと思う。

2014年9月24日水曜日

何が起こるかわからない日々〜誘いは突然に〜 Sep 24, 2014 (Wed)

昨日の出来事と、今日の出来事。

よくわからないが急にベトナム人の友人から「Car Roomへ行こう!!」と強く誘われた。
正直なところ彼女の英語が最初聞き取れず(世界にはいろいろな訛りがあるものらしい)、どこだそれはと思っていたが、他の友達が行くというのでのこのこついて行った。
こういう当たり、日本人らしいのだろうと思う。

Kaifanキャンパスのほど近く、寮が見えるあたりにホンダのショップがある。
そこで「バスを降りろ」と誘ってくれた友人に指示され、一同下車したのだった。

クウェートには多くの日本車が走っている。
クウェート人の友人によると、クウェートに直接輸入されている(もしくはクウェートで生産されている)のはトヨタとホンダのみで、三菱やNISSANなど、他の日本車はオーストラリアから輸入しているらしい。

それで、ホンダのショップの向かいが「車博物館」だった。
متحف السيارات التاريخية القديمة والتقليدية(古風・伝統的な車の歴史博物館)である。
ここが車博物館。

クウェートの国王が乗っていた車らしい(うろ覚え)

ここでは純粋に、昔の車が展示されていた。
アメリカ車のみならず、日本車やロシア車、ベルギーのものなどもあった。
参加メンバーの留学生たち(国籍は様々)はキャーキャー言いながら写真を撮っていただけであったのだが……

また、その隣に車(と言ってもゴーカートに毛が生えたようなものだが)を運転させてくれるスペースがある。
クウェートの道路のミニチュア版が屋内に整備されており、クウェート独特の道路を体感できる。
それぞれ男性には男性の、女性には女性のインストラクターがつき、場内を一回り。
私も運転してみたものの、左ハンドルと右側通行に戸惑いっぱなしであった。
写真を撮り合う友人たち。
この車で場内を走る。スピードは出ない。

そして今日。

いつも遊んでくれる日本大好きなクウェート人に「日本のイベントがあるから行こう!!」と誘われた。
どういうイベントかよくわからなかったが、日本人留学生一同でなんとなくついて行った。

私だけ授業が終わるのが遅かったので、みんなに待ってもらって友人の車で会場へ。
挨拶しに来いと言われ、一同で挨拶へ。
いかにもアラブ風なソファーのあるスペースで、お茶を出されつつ、自己紹介をする。
日本イベントということもあり、「こんにちは」という声はかかったが、英語は決して使わないらしい。
ゆっくりしゃべってもらったこともあり、アラビア語でコミュニケーションをとった。
当初は全く口から出てこなかったアラビア語だが、平易な内容なら少しずつ話せるようになってきた。

すると「取材してもよい?」と声がかかった。
日本語の堪能なクウェート人(長いこと日本に留学して、学位もとったらしい)に案内され、「クウェートTVですよ〜NHKみたいなもの!」と言われつつ、え、それって大丈夫なの、と思いつつテレビ出演。
アラビア語での受け答えができず、悔しい思いをしました。

そして、イベントが始まった。
日本文学に関する講演会だった。
内容に関しては、アラビア語が理解できなかったので割愛。
毎日アラビア語だけの授業を受けているけれども、なかなか難しいものがある。

イベント終了後、日本語を勉強しているクウェート人学生に取り囲まれてしまった。
一度ランゲージ・エクスチェンジをした友人もどうやら来ていたらしい。
これだけ日本語を勉強したい人がいるのだから、私たちがクウェートにいるよ、というアピールをもっとして、交流できたらいいのかとそんなこともふと考えた。

いろいろなことが起こる日々だ。
だが、8割は寝て起きて食べて通学して勉強するという、何の面白みもない平凡な毎日である。
特に、アラビア語を勉強しているくだりは全く持ってつまらない。単語を調べ、訳し、練習問題をひたすら解いている。
だから、「楽しそうに見えて意外と地味」という留学生活の本質を何となく実感しつつある日々である。