2014ー15年度クウェート政府奨学金を受け、クウェートにてアラビア語を学んだ記録。アラビア語やクウェート生活について。
noteに投稿した記事に加筆修正を加えて掲載しています。

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2014年9月30日火曜日

〈エッセイ〉境界を意識する Sep 30, 2014

先日、クウェート人女子学生の家に招かれた。
留学生の支援団体を主催している学生たちがホストになり、私たち留学生を家に招待してくれたのだ。
クウェート人はさすがお金持ち、宮殿のような家で、おそらく20人以上は集まっていたのだろうと思う。
ただし、その場にいたのは女性だけだった。
正確には、ホスト学生のお姉さんの子どもが唯一の男性としてその場に存在していたけれども、男性は本当にその赤ちゃんのオマルくんしかいなかった。

イスラームでは男女の世界を明確に区別するので、こういったパーティーなどは必然的に男女別で開催される。
女性が集っている場に男性が姿を見せることはない。
日本で言うところの「女子会」が行われるわけだが、面白かったのはクウェート人の女子学生たちがいつも身に付けているアバヤやへジャブを身につけていないことだった。
彼女たちは我々非ムスリムの外国人と同じように、思い思いの服を着ていた。

クウェートにいて、真っ黒なアバヤとへジャブを身に纏ったまるで魔女のような女性を見慣れ始めていたからか、なんとなく不思議な心地だった。
それと同時に、アバヤとへジャブは必要ない世界に入り込んだのだと、私は境界の中にいるのだと実感していた。

クウェートにいると、日本にいる時以上に境界を意識する。

「境界」という単語でいつも思い出すのは梨木香歩さんのエッセイだが、日本に本をあらかた置いてきてしまったので読み返すことが出来ないのが残念だ。
梨木さんは世界の家を例に出し、境界について考察していた。
日本は塀で境界を明確にし、イギリスは生け垣で独特な境界を作り、アメリカは家と家との境界こそ曖昧にするものの、銃を用意することで家を守ると言う。

ではクウェートはどうかというと、かなり明確に境界を作っているように思う。
住宅地を歩くことが少ないので家に関してどうだったか忘れてしまったが、大学のキャンパスの周囲は塀と有刺鉄線で囲われている。
有刺鉄線なんて、日本で最後に見たのはいつだろう。

カフェテリアも図書館の座席も男女別というイスラームの国に暮らしていて、私はつくづく境界を作るのが下手だと思う。
日本で私は境界を作る必要のない生活をしていた。
区別すべきは男女ではなく個人であり、相手によって距離感を決め、場合によっては明確な境界を定めていた。
個人主義とはこういうことなのだろう。

学校帰りのバスで、ベトナム人の男子学生と女子学生が隣同士の席に座っていた。
恋人だとか友達だとかそういうことは一切関係ない。日本でも同じことだ。
だが、クウェートではまずそのようなことはあり得ない。異性の隣の座席にわざわざ座ることなど、絶対にない。
だから、この光景をクウェート人や他のムスリムが見たらどんなことを思うだろうかとぼんやりしてしまった。

また別のバスに乗っているときのことだ。
その日のバスは満員だった。例によって前の座席に男性が、後ろの方の座席に女性が座っていた。
途中で女性がバスに乗ろうとしてきたが、空いている席は男性の隣の補助席だけだった。
普通なら座るだろうが、その女性はバスに乗るのを諦めてしまった。
私が男性の隣の補助席に座ってもよかったのだが、男性がムスリムだったら私が横に座ることをよく思わないかもしれないし……などと後からもやもや考えただけだった。

バスのように越えてはならない境界もあるが、クウェートの女子会のように越えてもよい境界もある。

日本で所属していた大学で障害者支援のバイトをしていたとき、よく他学部の授業に出席することになっていた。
もちろん、他学部の建物に入らなければならないわけだが、「なんとなく自分の居場所ではない雰囲気」にいつも戸惑いつつ、バイトに向かっていた。
それと同じで、クウェート大学の他学部の建物にはなんとなく入りづらい雰囲気を感じる。
明らかに外国人である私が学部の建物をうろついていると目立つという理由もあるが、日本で感じていた「なんとなく自分の居場所ではない雰囲気」まさにそれだ。
このくらいの境界なら飛び越えてしまっても問題ないだろう。
よく食事をするカフェテリアの近くに社会科学部と法学部の建物がある。
なかなか素敵な建物だ。いつか探検してみたいと密かに思っている。

【お知らせ】All Aboutに新たに2記事掲載されました!

本ブログの記事がAll Aboutのnews digに新たに掲載されました。

クウェートの女子トイレ事情
中東地域だからこそ気をつけたい。クウェートでの体調管理

また、All Aboutでご掲載いただいているプロフィールはこちらです。
 プロフィールの内容自体は大したことを書いているわけではありませんが、All Aboutに掲載されている本ブログの記事を一覧できます。

当初予想していたよりもたくさんの記事をご掲載いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。
1ヶ月近く生活していると慣れてくるのはよいのですが、新しい発見も少なくなってきてしまいます。
さらにアラビア語の勉強ばかりしていると地味な毎日を送ることになり……
その割に時間だけはあるので、毎日のんびり寝ていたり、といったところですが、ちょうど犠牲祭休暇もありますし、執筆活動にも励みたいと思っています。

他の留学生のように「留学生活楽しむぞー☆」とはいかない私の留学生活ですが、少しでも日本の皆様になにか還元できたらという思いだけは持ち続けています。

2014年9月27日土曜日

【お知らせ】本ブログの記事がAll Aboutに掲載されました!

本ブログの記事がAll Aboutのnews dig——事情ツウたちの時事コラムに掲載されました。
クウェート留学生は考えた「なぜクウェートにはインド人労働者が多いのか?」
クウェート留学生が体験した「アラビア語と英語の使い分けの難しさ」 
男性に接する機会の少ない「クウェートの女性たち」

前々から掲載の申し込みはしてありましたが、いざ載せてもらえるとなると嬉しいものですね。
これからもそれを励みに書き続けたいと思います。

こちらに到着したのが土曜日なので、ちょうど休日が区切り。
クウェート生活4週目の始まりです。
目標を立てつつ、だれないように過ごさなければと思います。

髪の毛にシーシャの香りが染み付いている、、、

2014年9月25日木曜日

アラビア語の授業  Sep 25, 2014 (Thu)

保道が大学に入って以来最もアラビア語をがんばっていると言われている(?)
左は日本でも愛用していたアラビア語ー英語辞書。
クウェートに到着して3週間。
こちらでのメインの活動である「アラビア語学習」について。

私たち留学生はクウェート大学文学部付属のランゲージ・センター(مركز اللغات)に所属し、授業を受けることとなる。
昨年度までは初級・中級・上級の3クラス編制だったと聞いていたが、今年度はまず全員を初級に割り振り、その中でlevel 1とlevel 2の2つのクラスを設け、各自の能力に合わせてクラスを選ぶことになった。

level 1はほぼ初学者向けなので、日本でアラビア語を(曲がりなりにも)専攻していた私はlevel 2を選ぼうと思ったが、level 2の学生があまりにもハイレベルなアラビア語力の持ち主だったので、まったく太刀打ちできず、断念。
ひとまずlevel 1を受講した。
level 1が初級、level 2が上級と言ってもほぼ差し支えない状態だった。

そして、授業2週目のはじめにクラス分けのテストが行われた。
さらにこの週の途中から3クラス編制になると知らされる。
level 1~3の3クラスが開講されるとのことだったが、事実上、新しい先生を招いて初級と上級の間に中級クラスを新設することとなった。
私はテストで中級クラスに数点及ばなかったものの、どうやら交渉したら簡単にクラスを変えてくれるらしい。
というわけで先生に交渉し、中級クラスを受講することに決定。私の他にも数人このような学生がいた。

中級クラスの授業は全てアラビア語で行われる。
内容は比較的平易なもので、自分の生い立ちをアラビア語で話したり、住んでいた街についての文章を作ったり。
扱う文章の内容も、もしかしたら日本でやっていた文章の方が難しいのではと思うほど。

中級クラスのM先生は決して英語を受け付けてくれないので、私もなんとか拙いアラビア語で彼とコミュニケーションをとることになる。
同じクラスの友達が体調を崩し欠席の伝言を頼まれていたが、なんとか「病気」「病院へ行く」という表現を駆使して伝えることが出来たと思う。
このクラスで明らかに底辺レベルの私を、先生は気遣ってくださっているようで申し訳ない気持ちもあるが、アラビア語力よりもきちんと勉強する姿勢を大事にしてくださる先生だ。
先生の姿勢に応えてというわけではないが、宿題だけは必ずきちんとやるようにしている。
といっても、宿題に何時間もかかってしまっているわけだが……

このクラスに日本人は私だけ。
あとは本当に世界各国からの学生ばかりでなんともグローバルな雰囲気だ。
そんな私たちがアラビア語を共通言語としているのはなかなかに面白い環境ではないだろうか。

「アラビア語でアラブの人たちとコミュニケーションをとりたい」という明確な目標のもと、これからもがんばろうと思う。

2014年9月24日水曜日

何が起こるかわからない日々〜誘いは突然に〜 Sep 24, 2014 (Wed)

昨日の出来事と、今日の出来事。

よくわからないが急にベトナム人の友人から「Car Roomへ行こう!!」と強く誘われた。
正直なところ彼女の英語が最初聞き取れず(世界にはいろいろな訛りがあるものらしい)、どこだそれはと思っていたが、他の友達が行くというのでのこのこついて行った。
こういう当たり、日本人らしいのだろうと思う。

Kaifanキャンパスのほど近く、寮が見えるあたりにホンダのショップがある。
そこで「バスを降りろ」と誘ってくれた友人に指示され、一同下車したのだった。

クウェートには多くの日本車が走っている。
クウェート人の友人によると、クウェートに直接輸入されている(もしくはクウェートで生産されている)のはトヨタとホンダのみで、三菱やNISSANなど、他の日本車はオーストラリアから輸入しているらしい。

それで、ホンダのショップの向かいが「車博物館」だった。
متحف السيارات التاريخية القديمة والتقليدية(古風・伝統的な車の歴史博物館)である。
ここが車博物館。

クウェートの国王が乗っていた車らしい(うろ覚え)

ここでは純粋に、昔の車が展示されていた。
アメリカ車のみならず、日本車やロシア車、ベルギーのものなどもあった。
参加メンバーの留学生たち(国籍は様々)はキャーキャー言いながら写真を撮っていただけであったのだが……

また、その隣に車(と言ってもゴーカートに毛が生えたようなものだが)を運転させてくれるスペースがある。
クウェートの道路のミニチュア版が屋内に整備されており、クウェート独特の道路を体感できる。
それぞれ男性には男性の、女性には女性のインストラクターがつき、場内を一回り。
私も運転してみたものの、左ハンドルと右側通行に戸惑いっぱなしであった。
写真を撮り合う友人たち。
この車で場内を走る。スピードは出ない。

そして今日。

いつも遊んでくれる日本大好きなクウェート人に「日本のイベントがあるから行こう!!」と誘われた。
どういうイベントかよくわからなかったが、日本人留学生一同でなんとなくついて行った。

私だけ授業が終わるのが遅かったので、みんなに待ってもらって友人の車で会場へ。
挨拶しに来いと言われ、一同で挨拶へ。
いかにもアラブ風なソファーのあるスペースで、お茶を出されつつ、自己紹介をする。
日本イベントということもあり、「こんにちは」という声はかかったが、英語は決して使わないらしい。
ゆっくりしゃべってもらったこともあり、アラビア語でコミュニケーションをとった。
当初は全く口から出てこなかったアラビア語だが、平易な内容なら少しずつ話せるようになってきた。

すると「取材してもよい?」と声がかかった。
日本語の堪能なクウェート人(長いこと日本に留学して、学位もとったらしい)に案内され、「クウェートTVですよ〜NHKみたいなもの!」と言われつつ、え、それって大丈夫なの、と思いつつテレビ出演。
アラビア語での受け答えができず、悔しい思いをしました。

そして、イベントが始まった。
日本文学に関する講演会だった。
内容に関しては、アラビア語が理解できなかったので割愛。
毎日アラビア語だけの授業を受けているけれども、なかなか難しいものがある。

イベント終了後、日本語を勉強しているクウェート人学生に取り囲まれてしまった。
一度ランゲージ・エクスチェンジをした友人もどうやら来ていたらしい。
これだけ日本語を勉強したい人がいるのだから、私たちがクウェートにいるよ、というアピールをもっとして、交流できたらいいのかとそんなこともふと考えた。

いろいろなことが起こる日々だ。
だが、8割は寝て起きて食べて通学して勉強するという、何の面白みもない平凡な毎日である。
特に、アラビア語を勉強しているくだりは全く持ってつまらない。単語を調べ、訳し、練習問題をひたすら解いている。
だから、「楽しそうに見えて意外と地味」という留学生活の本質を何となく実感しつつある日々である。

2014年9月22日月曜日

健康診断の戦い 〜その2〜 Sep 22, 2014

 健康診断の戦い 〜その1〜もどうぞお読みください

「7時な!」と一応言われていた。
だが、私は当然のごとく「ほんまかいな」と思っていた。
すると、ドライバーは本当に朝7時にやってきた。

さて、病院だ!
……と思ったら、昨日とは違う場所へ連れて行かれてまず焦る。
どうやら移民向けの健康診断所みたいなところに連れてこられた模様。
来ている人の数が尋常ではないので、早めに行って順番待ちする様子だった。
とりあえず、iPadでLOVE PSYCHEDELICOを聞きながら30分ほど待機。

終わると、各々が受付を済ませ、血液検査へ。
クウェートで血液検査、したくなかったけれどしてしまった……
やたらと太い針を刺され、痛かったけれど難なく終了。

次はバスで数分、違う場所へ連れて行かれる。
どうやらX線検査らしい。
気になったのが、日本と違ってきちんとドアを閉めないこと。
いや、大丈夫なのか……
これもとりあえず終了。

で、これで終わり!
終了したのは午前9時でした。
クウェートは朝早くから仕事を始めて昼さっさと仕事を終わってしまうので、この時間に終わるのはよくあること。
というわけで、16時からの授業まで余裕があるので、図書館でのんびりとこのような文章を書いている。

とりあえずこれにて一件落着。

2014年9月21日日曜日

健康診断の戦い 〜その1〜 Sep 21, 2014

クウェートで長期滞在する権利を獲得するために、健康診断を受けなければならない。
基本的に女子寮で手続きをしてはくれるが、これがなかなかに曲者だった。

まず、寮の受付で健康診断の予約を取る。
予約というか、「健康診断いつですか」と尋ねる仕事である。
英語が通じる人と通じない人といるが、基本的に何語であっても話が通じない相手と考えて差し支えない。

このとき、指定された日時が試験と重なっていたので、粘って日程を変えてもらうことに。
そのときは英語が苦手な人にあたってしまったので、broken Englshならぬbroken Arabicで戦うこととなった。
「その日 私たち 試験!」「日曜、OK。木曜、わからん!」と必死に粘り、なんとか変更終了。
ちなみに、集合時間をきちんと言ってくれないので、何時集合か聞き出すのも一仕事だ。
とりあえず「what time?」と言えば通じる時もあるが。

それで、変更してもらった日の朝8時。
病院へ行くバスが来るとの話でした。
どうせ待つだろうとわかっていたのでのんびりおしゃべりなどして待っていましたが、1時間経過。
すると、受付の人が現れ、「ごめん、渋滞でバスこーへんわ。次の日曜日ね!ほんまごめん!」とだけ言って去ってしまった。

……えっ!?

まぁ、謝られただけよしとした。
クウェートの渋滞は日本と比べ物にならないくらい酷い。
朝8時にバスが来られないのは、一応想定の範囲内であった。

というわけで、「次の日曜日」が今日だったので、今朝8時にまた集合。
どうせ待たされるだろうということで、他の学生を横目に見つつのんびりアラビア語の勉強をして待つ。
1時間弱でバスが到着した。

いつも通学に使っているMTのマイクロバスは、颯爽と病院へ。
……向かうはずだったが、なんだか不穏な雰囲気。
ダウンタウン風の商店街に連れて行かれ、ドライバーは私たちをうさんくさいおもちゃ屋の向かいにある建物に連れ込んだ。

正直、身の危険を感じました(涙)

それは映画の世界で見る海外の病院さながらの光景で、受付の女性(怖そう)が叫びながら患者をさばく。
待合室には人が溢れている。
私たちのように長期滞在ビザを申請するために検診に来ている人ばかりなのか、インド人と思しき移民が多かった。

せめてもの救いは、ドライバーがきちんと私たちを案内してくれ、書類も準備してくれていたこと。
なぜか1KD払わされたが、それはご愛嬌。

ここでもどうせ待つだろうと思っていたら、案の定待たされる。
おそらく2時間以上は軽く待っていた。
他の学生はイライラしていましたが、私は予想していたのでKindleで太宰治を読みながら(しかも若干感動しながら)待っていた。

するとドライバー、「ごめん、今日は無理だわ。また明日。」

……は!?

これだけ待たされて、また明日だそうです。
明日、またバスを出してくれるそうです。
いやもう知らんがな。怒りも呆れも通り越して、なんだかおかしかった。

ドライバー曰く、「明日7時集合な!そしたら8時半には終わるから!」だそう。
全く信じていないのでちゃんと私はKindleを準備しておく予定。

というわけで、「健康診断の戦い」はnext timeがあるということです。乞うご期待。

健康診断の戦い 〜その2〜へどうぞ 

2014年9月20日土曜日

射撃場(الرماية) Sep 19, 2014

先週のことだ。
日本が大好きだというクウェート人の友人に遊びにいかないかと誘われた。
SMSで連絡を取り合いながら「どこへ行くの?」と尋ねたところ、「club of shooting gunsへ行くよ〜」と言われており、それが何なのかあまりイメージができなかったので、のんきにふらふらついていったのだった。

正直なところ、これは「楽しかった」くらいにしか感じていない休日の出来事なのだが、よく考えてみると我々日本人にとっては非常に貴重な経験だった。
忘れないうちに書き残しておこうと思う。

クウェートには電車がないので、私たち留学生の移動手段はバス、タクシー、クウェート人の友達に頼んで車を出してもらうの3つが基本だ。
その日はもちろん、誘ってきた友人に車を出してもらった。

食事とあらかじめ連れて行ってくれと頼んでおいたexchangeを済ませ(そのどちらもなかなかに新鮮な経験ではあったのだが)、いざ射撃場へ。
どうやらそれは郊外にあるらしく、市内中心部からかなりの時間車を走らせることとなった。
クウェートの運転は荒い。タクシーは平気で時速120キロを出す。クラクションは日本では考えられないほど頻繁に鳴らされる。停車時の車間距離は限界ギリギリまでつめる。
友人の運転はタクシー運転手に比べたらまだ優しいものだが、それでもシートベルトをしなければ怖くて乗っていられない。

建物も何もない砂漠(といっても、日本人が思い浮かべるような砂地ではない)のような道をひたすらに走り、射撃場に到着。

入り口の受付で、クウェート在住者は市民IDを、市民IDをまだ取得していない私たちはビザとパスポートを提示しなければ中へ入れない。
クウェートに来てからと言うもの、何度もビザとパスポートを提示しなければならない場面に出くわしてきたが、「本当に大丈夫だろうか」という緊張は未だに拭いきれない。

無事に通過し、中へ。
どうやら日本で言うところのバッティングセンターのような雰囲気だ。
欧米人らしい客の姿が目立った。

地階へ降り、またもう一つのカウンターへ向かう。
使用したい銃と弾丸を選び、お金を払うようだ。
誘ってくれた友人以外は全員初めて来たので、一番小さなものを選んだ。弾数は、15。

理由はよくわからないが、射撃するスペースは撮影禁止だった。
銃を撃つ際の爆音から耳を守るために防音用の耳当てをせねばならない。

そのあたりで早く気づくべきだったが、この射撃場(الرماية)は本物の銃を撃って楽しむスペースだったのだ。
本物の銃でないと、これほどの爆音は出ないだろう。

順番を待ち、射撃スペースに案内される。
こちらもバッティングセンターと同じく、1人ずつが入るように仕切られていた。
それぞれにインストラクターがつき、インストラクターにまず名前を伝える。
案の定、私の名前は日本人以外には難しいようで、Harunaと書いて理解してもらった。
インストラクターの英語はアメリカ風で、アラブなまりがほとんどなかったのが印象的だった。

インストラクターは銃にするすると弾を込め、初めての状況に戸惑う私に銃を手渡した。
「怖くない?」と聞かれたので「もちろん!」ととりあえず答えては見たものの、勝手が分からない。
とりあえず、あの的に向かって5発撃ってみろと言われたので、インストラクターの指示通りに銃を構え、撃つ。

初めて撃った実弾の感触。
銃を構える手にもの凄い衝撃が加わる。
私はその衝撃に吹っ飛ばされそうになりながらも、なんとか立っていた。
弾の殻が四方八方に弾き飛ばされていた。
味わったことのない感覚に圧倒されながらの5発。





この的に向かって銃を撃つ。記念にもらったので、寮の部屋に飾ってみた。

撃ち終わると、次は自分で弾を込めてみろとインストラクターが言うので、自分で弾を持ち、インストラクターの指示通り銃に弾をセットする。
そのやり方が今ひとつ理解できなかったのと、何よりも先程撃った実弾の感触を思い出し、この弾はあの膨大なエネルギーの素なのだとビクビク触っていたので、かなりもたついた。

なんとか5発弾を込め、次の5発。
最初よりは要領がつかめたのか、落ちついて撃つことができた。
また5発補充し、最後の5発はなかなか楽しむことができた。

射撃を終え、すっかりクタクタになってしまった。
同行していた射撃初心者たちも疲れた様子だった。

その時は興奮状態にあったのかよく理解していなかったが、後から振り返ってみると本物の銃や実弾は日本では違法であるはずだ。
だから、日本にこのような射撃場などあるはずがない。
自衛隊に入りでもしない限り、本物の銃を触る経験などできないだろう。それか、狩猟の猟銃を趣味にでもしない限り。
友人はびっくりするほど軽い誘い方をしてきたが、これは日本人にとっては大変なことなのだよと伝えるべきだろうか。
そういう文化の違いも面白い。これはぜひ日本に伝えるべきだと思い、この文章を書いた。

2014年9月17日水曜日

〈エッセイ〉距離感 Sep 17, 2014

クウェートのピザハット。同じだけれど、違う。

世界の距離はあなたへの距離で
そばに行くほど 広くなる
(坂本美雨「あなたと私の間にあるもの全て愛と呼ぶ」より)
ウキウキしたような恋愛の歌だが、この言葉が気になってならない。
「そばに行くほど 広くなる」とはいったいどうなるのか、「あなたへの距離」とはいかばかりのものか。
論理的に解釈すると、ここでの「距離」は物理的なものではなく、精神的なものだろう。
こういう風に言葉にすると、いとも簡単に、単純なことのように表せてしまうのが不思議で、なんとも悔しい。

こちらへ来てから、何人か日本の知人友人と連絡を取った。
ずいぶんと離れてしまったと思う人もいれば、不思議なことに日本にいた時と大して変わらない距離感で連絡が取れた人もあった。

日本にいた時と変わらない距離感で連絡が取れた人というのは、言ってしまえば日本にいた時既に疎遠だったか、たまにしか連絡を取っていなかった人なのかもしれない。
私はその人たちのことを好きでいるのは間違いないが、様々な条件が重なって、頻繁には会えなかったのだろう。

逆にずいぶん離れてしまったと感じる人は、日本にいた時に近しく接していた人であると思う。
その最たる人物が家族であり、彼らと連絡を取る時には日本とクウェートという物理的な距離感を感じざるを得ない。
日本からクウェートに物資援助をしてくれるという話をしているのもあるが、大阪—広島間の距離でも心配されていたのに、海をまたいでしまうとなると両親の心配がメールの文面からにじみ出ているようである。

物理的な距離と精神的な距離は相互に影響を及ぼし合っているのだろうと思う。
物理的に離れてしまって本当に離れてしまったと感じる人たちと、物理的には離れているが普通に連絡が取れるので「あれ、意外と離れてもいなかったのだな」と思う人たち。
ただ間違いないのは、SNSなどのツールが私たちの距離を確実に狭め、いついかなる場所でも連絡を取ることができるという点で、ほとんど均質化しているということだ。

一昔前、インターネットなどなかった時代の留学は、手紙かなにかで連絡を取るしかなかったそうだ。
アラビア語専攻の恩師らは1970〜80年代のアラブに留学していたとのことだが、彼らの肉親の心配を思いやるとやるせない。
その留学時代を考えてみれば、日本の人と連絡を取るのに非常に時間がかかったということは、日本での人間関係をほとんど一時的に断ち切って留学していたということになる。
私の場合はSNSやメールで簡単に連絡が取れるということにはなるが、日本にいる全ての家族や知人友人と同じ距離感で接さざるを得なくなった。
日本の友人に助けを求められたとしても、今の私には助けにいくことができない。

これはある意味、かつての人間関係の距離感から解放されたとも言える。
家族はともかく、一時的に日本の友人たちとの距離感がだいたい等しくなるようにリセットされた。
かつて近かった人と離れてしまったのは悲しくもあるが、日本にいた頃に抱えていたドロドロしたものに一時的とは言え目を向ける必要がなくなったことで、思っていた以上に気楽な気持ちになれた。

補足しておくと、一応こちらにも日本人留学生は他に4人ほどおり、渡航やクウェートでの各種手続き、授業などで日々協力しながら過ごしていて、出会って2週間ほどなのにずいぶんと仲良くなった。尊敬も信頼もする仲間たちだ。
しかし出会って間もないし、出会った経緯があくまでも「留学」なので、既存の日本での人間関係に当てはめるのは不適切だと思っている。

そんなことを考えている自分はもしかしたら冷酷なのかもしれないと思いつつ、いやいや、これは神様が私に用意してくれていたプレゼントなのかもしれないとも思う。
ようやく正式に受講するクラスも決まり、精神的な落ち着きを取り戻してきた。
新しい環境に飛び込むことでの、人間関係のリセットと再スタート。
大学に入学し、一人暮らしを始めたばかりの頃のことを思い出す。
今の私はあの頃よりもずいぶんタフだ。考え、文章にするというスキルも身につけた。

「日本は遠いから、留学中に帰国はしないかなぁ」と他の留学生と話したくらいには日本は遠い。
その「遠さ」を上手に解釈し、プラスに考えることができるようになった自分を誇ってもいいような気がしている。
たまには、こういう風に自分を褒めて文章の締めくくりにしよう。

〈エッセイ〉国籍 Sep 17, 2014

直接的なクウェート情報ではありませんが、クウェートに住んでいて感じたことを文章にまとめました。



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授業終了後、他の日本人学生たちと共に大使館へ向かうことになっていた。
友人の努力のおかげでなんとかタクシーを捕まえ、定員オーバーのタクシーは炎天下の道を大使館へ向けて急いだ。

運転手はバングラデシュの出身だった。
クウェートの外国人は一様に「この国は暑い」と言う。確か、彼もそのようなことを言っていた。
運転手も日本人たちも車内の暑さに辟易して、黙り込んでいた。
その空気を打ち破るように友人が「バングラデシュはどんなところ?」と彼に英語で尋ねた。
彼は「バングラデシュは美しくて、いいところだよ」と、誇らしげに答えてくれた。

こちらに暮らしていると、「日本人だ」と自己紹介するだけで、なぜか喜んでくれる人が多い。
「こんにちは」「ありがとう」などと挨拶してくれた人もあった。
あと、女性からは「日本人は肌が綺麗」とよく言われる。理由はよくわからない(私の肌はストレスと脂っこい食事で荒れ放題だ)。
おそらく、日本という国のイメージを各々が抱いているのだろう、「日本ってどんなところ?」と尋ねられたことは今のところない。
プラスのイメージを彼らに示されるたび、なんとなくこそばゆい思いをする。

「日本はどう?」と尋ねられることがあれば、私は迷うことなく「いいところだよ」と答えるだろう。
だが、日本にいた時の私はきっとどう答えればわからず、何となくお茶を濁したのではないかと思えてならない。

様々な国籍の学生が集まっていると、出身国はその人をその人たらしめるかなり重要な要素となる。
それは精神的な理由が第一と捉えられるかもしれないが、異国の名前を上手に発音するのが難しいという物理的な理由もあるだろう。
クウェート人の先生は台湾人の名前が全くわからず、授業ではアラビック・ネームで呼び合っている。

だから、私たちは名前よりも先にその人の国籍を覚えてしまう。
日本人と日本語で話している時に「さっきあの○○人が〜」などと、3人称を国籍で表現してしまうことがあり、なるべくその人の名前で呼ばなければと自戒する。

決してよいことではないと思う。
私のアイデンティティーを日本に依存することも、他者を国籍で規定することも、好ましいことではない。
だが、自分が生まれ、育ち、長年暮らした母国の存在は、「外国人」である身には何よりも重要な要素なのだ。
それは私にとっても、この国で外国人として暮らす人にとっても、この国の国籍を持っている人にとっても、そうだ。

だから、文化も言葉も何もかもちがう環境で孤独に苛まれると、自分の母国を「よいところだ」と迷いなく表現するようになる。
この場所で自分を自分たらしめてくれるものをよいものとして信じることができなければ、私が私としてこのまま存在し続けることはできない。

日本にいた頃は、絶対にそんなことはしたくなかった。
けれど、気づいたらこう割り切っていた。
文化も気候も食べ物も何もかも違う国にいると、自然とこうなってしまった。

日本で、日本滞在歴が長いという韓国人の友人に「留学して、外国人として扱われる経験をした方がいいよ」と言われていた。
どこか無国籍の空気を纏う彼の言葉には何となく説得力があって、そんな経験も悪くないとぼんやり思いながら留学を決めた。
クウェートの地でその言葉を思い出す。
外国人として扱われることは、良くも悪くも新鮮な経験である。

だが、これほどまでに孤独なことだとは思いもしなかった。

いくら日本人がいっしょに来ていると言っても、20年と少し暮らした日本の大切な人たちは、遠く離れた日本にいる。
英語こそ通じるが、日本の常識は一切通用しない。
何よりも、外国人はどこに行ったところで「お客様」である。
そう扱われるのは気が楽でもあり、より私を孤独にもする。

他国からの留学生が孤独感を語ってくれた。
つらさの度合いこそあれ、私もあなたと同じ思いを持っているよとなんとか伝えたかった。
いつか伝えることができるだろう。
留学にくる前は「好きな人がいない国に行くってすごい」などと自虐していたが、住んでいるうちに好きな人は増えてくる。
人間関係を構築するうちに、私も変わっていくだろう。

1年は長い。その1年でどう変わるだろうか。

2014年9月15日月曜日

クウェートでの体調管理 Sep 15, 2014

現在、2クラスが開講されている。
level 2を取ろうとしたら全てアラビア語の授業でほとんど理解できなかったので、とりあえずlevel 1を取ってみたら(=逃げ)思った以上に簡単で。
簡単すぎるのもまたストレスが溜まるというもので、level 2を聴講しようと思っていたが、到着して3〜4日ほどで見事に体調を崩してしまい、両方の授業に出席するのは体力的に厳しいものがあった。
来週からlevel1~3の3クラス開講になるらしいので、私のレベルに合った授業がとれそうだ。
まだ本調子ではないので、今週はのんびり復習しつつ、体調回復と環境に適応することに努めたいと思う。

さて、こちらでの体調管理だ。
体調をきちんと管理できていない私が言えたものではないが、なかなか大変だ。

そもそも、旅先や環境が変わった直後に体調を崩しやすいタイプではある。
枕が変わると寝られない。
まして、クウェートへの移動というハードな移動をこなした直後から炎天下のクウェートで授業を受けるというのは、なかなかに大変だとは言えないだろうか。

まず気をつけるべきなのは熱中症だろう。
今日、午後3〜4時に20分ほど外を歩いたら、頭が重く少し熱を持っているようで、気分も悪かった。
少し考えて、これはどうやら熱中症らしいという結論に至った。
こちらへ来たばかりの頃は、熱さのせいか頭痛に悩まされていた。いつの間に頭痛は消えてしまったけれど。
仕方ないので、夕食のサラダに少し多めの塩を振って、大量に水を飲むことにした。

この国で「水を飲む」ということは食事・睡眠と同じくらい大切なのだ。
特に、私たちのような温帯出身の人間にとっては。
毎食、カフェテリアで水がもらえるので、常にペットボトル1つは携帯するようにしている。
なるべく多めにもらっておいて、部屋に備蓄するのも忘れてはいない。
こちらが「命の水」だ。
もちろん、Made in Kuwait



また、室内の空調が過剰なほど効いているので、その対策もしなければならない。
クウェート人の先生は「クウェートは外が夏で、室内は冬!」というジョークを飛ばすほどである。
なので最近の私の服装は、半袖のTシャツやカットソーなどにロングスカートかジーンズ、パンツ、首にスカーフを巻いて室内では防寒、野外では日差しから首を守り、かばんの中にはジャケットかカーディガンを入れている。
こちらの宗教的慣習を鑑みても、肌を隠すためにジャケットかカーディガンを羽織ることはプラスになる。
いやいや、そんなことを言っている場合ではない、とにかく外は夏で内は冬なのだ。その環境に適応しなければならない。
一緒に日本から来た留学生は、ずっと夏の服装をしていたのに、今日からは冬のような格好で授業に出席していた。

また、女性は足の火傷に気をつけよう。
大使館からの帰りで、あまりに道路が混んだためタクシーを降りて歩いていたところ、パンプスの底が薄かったのか、足の裏を火傷してしまった。
水ぶくれのような何かができてしまっている。歩くたびに痛い。
日本で大学の先生から似たような話を伺っていたので、ハイヒールが大好きな私は大丈夫かとヒヤヒヤしていたが、ついに恐れていたことが起こってしまった。
明日からしばらく、靴下にスニーカーで生活しなければ。

あとは、無理をしないこと、よく寝ること。
交通事故に気をつけること。私は道を渡る時は必ず手を上げて、自分の存在を目立たせている。
幸い、おなかを壊すことはほとんどないので(もともと弱い方なので、現状維持といったところ)助かっている。

2014年9月14日日曜日

クウェートの女子トイレ事情 Sep 14, 2014 (Sun)

クウェートに来て、使ったトイレは3つ。
寮のトイレ、大学の授業を受けている棟のトイレ、ショッピングモールのトイレ。
いずれも水洗トイレである。

おそらくクウェートは水洗トイレが十分普及している。
ただ、水は日本のように1回ごとに定量が流れるのではなく、ボタンを押している間だけ勢いよく流れる。
きちんと流れるまで、ボタンを押し続ける。

トイレットペーパーはスーパーで購入できる。
ただ、どうやらトイレには流さないようで、備え付けのゴミ箱に捨てる。
授業のある棟は留学生が多くトイレットペーパーを流してしまう人がいるのか、「トイレットペーパーは流さずにゴミ箱に捨ててね」と英語で貼り紙がされていた。

もちろん、ウォシュレットはない。
だが、トイレのすぐそばに水の出る金属製のホースが必ず備え付けられている。
これが日本で言うところのウォシュレットなのだろうか、聞いてみたいのだがなかなか聞きづらいものがある。

大学に、和式トイレににたトイレがあった。
クウェートにもしゃがむタイプのトイレがあるのかと驚いたものだ。
写真をアップするか少し考えたが、公衆の面前に晒すものでもないだろう、どうしても見たいという方があれば、個人的にご連絡いただければ個別に対応しようと思う。

寮にはもちろんそれぞれの部屋にトイレがあるが、その横にはシャワー室がある。
シャワー室は公衆電話くらいのスペースで、同じような形。
日本でもそれほど湯船につかる方ではなかったので、湯船につかることができない点について不満はないが、どうも閉塞感があって苦手だ。

2014年9月13日土曜日

クウェートに来て1週間 Sep 13, 2014

留学生活1週間が経過。
率直な気持ちをエッセイにしたけれども、これは公開できそうもない内容。
おそらく疲れているのでしょう、マイナスなことやプライベートすぎることを書いてしまったので、公開はやめておきます。
トイレ事情とか、近所の問屋さんの話とか、書きたいことはたくさんあるので、もう少しお待ちくださいませ。
今日は休日で、頼まれていた原稿をいくつか仕上げていました。

大好きなクウェートの風景を、慰みに。

2014年9月11日木曜日

クウェートの女性たち Sep 11, 2014 (Thu)

クウェートの男女が上手にセパレートされた世界では、私は女性の世界に入り込むしかない。
食堂(カフェテリア)とバスの待合室は男女別であり、図書館の座席すらそうなのだ。
こちらに来て1週間ほど経つが、私は未だに戸惑いを感じつつある。
男女をセパレートしない社会で生きてきた人間はその境界に漂うか、どちらかに迎合するかしかない。

だから、クウェートで男性に接する機会は少ない。
その分たくさんの女性に出会った。私が暮らしているのも女子寮だ。

クウェート人女性(他の湾岸諸国やアラブ諸国の出身者も含めて)の多くはへジャブで髪の毛を隠し、アバヤで全身を隠し、場合によってはニカーブで顔のほとんどを隠している。いずれも黒で統一されているので、クウェート大学の女子用カフェテリアでは黒ずくめのまるで魔女のような女性たちを目にすることになる。
彼女たちをよく観察すると、かなり派手な化粧をしブランドものを持ち歩いている。豪華な指輪をはめ高級そうなサングラスをかけている人も目立つ。
アラブ人は元々彫りの深い派手な顔立ちだが、さらに眉をくっきりと際立たせ、アイラインをかなり太くはっきりと引き、おそらくファンデーションも相当塗っているのだろう、肌をかなり綺麗に見せている。
彼女たちが歩いたあとは、やたらと化粧の匂いが立ちこめる。
湾岸諸国は豊かだとはよく言ったものだが、クウェート大学の女子学生はブランドものの小さなハンドバッグを持ち、教科書などは手で持ち歩いている。トートバッグか何かに入れた方が効率が良いのではないだろうか。
クウェートは車社会なので、彼女たちはその格好のまま自分の車を運転して通学する。寮に住むためにバスで通学する人も多い。

そんな女性たちを目にし、日本でいつも履いていたジーンズにシャツやカットソーを着て、コンバースのリュックを背負って登校している私は気後れしてならない。
早く慣れたいものだ。

そんな大学で、日本で着ていたのと同じ服を着て、明らかにアジア人とわかる顔立ちの私は目立って仕方がない。
また、私たちにも私たちの文化があるもので、他の日本人や留学生たちと男女交えて話している様はかなり目立つらしい。
特に、クウェート空港に到着したとき、日本人の男女4人で迎えを待っていたときに感じた視線は痛かった。

自分が女性だからかクウェート人男性の生活は今ひとつ見えてこないのだが、女性よりも「セレブ」の要素は薄いようにも思える。
男性も皆一様にクウェートの民族衣装を着ているが、きらびやかな女性に比べたらまだ話しかけやすさがある。
アラビア語では男性形の名詞に女性形を表す記号をつけて、女性形を作る。
女性というものは男性に比べて特別な、目立つ存在なのだろうか。

よく観察してみると、へジャブやアバヤを一切身に付けていない女性もいる。
アラブ人とヨーロッパ人はほとんど似たような顔立ちをしているので、もしかしたらヨーロッパ人なのかもしれないが。
ある日カフェテリアで昼食をとっていると、いきなり女子学生に話しかけられたことがあった。
彼女はへジャブもアバヤも身につけていなかったが、自分はムスリマ(イスラームの女性)だがそれを身につけることはしないと説明してくれた。

また、忘れてはならないのは労働のために移民してきている女性たちのことであろう。
清掃やカフェテリア店員の制服を身に着けているところしか私は見たことがないが、思い思いのアクセサリーを身につけているようだ。
彼女たちの英語は訛りが強いので聞き取りづらいが、挨拶したら笑顔で返してくれる。
いわゆる「セレブ」なクウェート人女性に、彼女たちがはっきりと言い返しているのを見たことがある、身分のようなものは存在しないのだろう。
移民の労働者たちとクウェート人たち、男性と女性たち、この国は本当に人間の空間をセパレートするのが上手だ。

私はクウェート人にも、移民の労働者にも、なることはできない。
自分は本来この国に存在すべきでない人間なのではないかと不安になる。
そんなことを思って、これが海外生活で起こるアイデンティティクライシスなのかもしれないと気づく。

はっきりと外国人で居続けるか、クウェート人に近い存在として振る舞うかは私次第だ。

クウェートでの言葉事情 Sep 10, 2014

クウェートでの共通語は、アラビア語と英語。
なるべくアラビア語を話すようにするのが正解だが、足りなければ英語で補う。

留学生同士の会話は、完全にアラビア語で話している人もいれば、英語を話す人もいるといったところだ。
なるべくアラビア語を話したいと思ってはいるが、なかなかアラビア語は出てこない。今は英語で話している。
とりあえず挨拶はなるべくアラビア語ですることを試みている。

不思議なのは、日本人の男子たちと話す時に2人称が変化することだ。
日本語で話す時は名字+くんだが、他の留学生やクウェート人を会話に交えている時など英語やアラビア語で会話する時は、下の名前を呼び捨てにする。
言語の不思議さというものはここにあるのかと実感する日々だ。

これから市民IDを取得するために健康診断を受けなければならないので、寮の受付のセレブおばちゃんたちに交渉した。
彼女たちは英語がそこまでできない(日常会話が片言でできるくらいのレベル)の人が多いので、交渉にはアラビア語が必須となる。
そもそも、たとえアラビア語でコミュニケートできたとしても、こういった重要な件に関してだけは物わかりの悪い人たちなので(普段はとても親切なのに……)、なんとか話を通さなければならない。こちらが了解するまでその場を離れる気は一切ない。
日頃、アラビア語が話せず悶々としている私だが、この時ばかりはなんとかアラビア語を話そうと試みる。
「いつ!?」「その日試験ある!」「明日の朝!わかった!」など、単語を並べたレベルであるが、ひとまず交渉はできた。
彼女たちも私も必死である。

学生や先生はほとんど英語が通じると言っても過言ではない。
私たちは基本的に英語で話しかけられる。
突然もの凄い英語でまくしたてるクウェート人に出会ったこともあった。

そんなことを思えば、日本の感覚はどこか偏ってはいないだろうか。
日本にいて、アジア人に英語で話しかける日本人は少ないように思う。
クウェートでは、どう見てもアジア人である私は英語で話しかけられる。
そもそも、日本では英語があまり通じない。これは外国人にとって非常に不便なことであると私は断言する。
クウェートやタイの空港で英語が通じたおかげで、どれだけ助けられたか。
日本人よ、英語をがんばろう。日本に来た外国人と共に生きて行くために。

私はKaifanキャンパスからShuweikhキャンパスにバスで通学しているので、毎日バスとの戦いも行われている。
授業が始まって3日目、まだどのバスがどこへ向かうのか判断する術を持たない。
ShuweikhからKaifanに帰るバスを待つとき、乗り場で陽気なおじさんに話しかけられた。
「どこからきたの?何を勉強しているの?」とアラビア語と英語でお決まりの質問をしてくれた。
ランゲージセンターでアラビア語を勉強していると英語で答えると、彼は私にアラビア語を話すことを要求してきた。
私は拙いアラビア語で「アラビア語は2年勉強していた、読めるし書けるけど話せない」と、間違いながらなんとか言った。
彼はそれを笑顔で見守ってくれた。
彼にはアラビア語の練習台になってもらおうと思っている。今朝、アラビア語で彼に挨拶した。

アラビア語の上手な留学生と話していると完全に気後れしてしまうので、同じくらいのレベルの学生かネイティブに練習台になってもらうのが一番いいような気がしている。
アラビア語で話ができるのはやはり楽しさもある。

日本にいた時、英語やアラビア語を話している自分は一体何者なのだろうと考えていたが、意外と日本語を話している自分と中身は変わらなかった。
ただ、振る舞いは英語の時は英語ネイティブのアメリカ人のようになる(昔ニューヨーカーに英語を仕込まれたので、私の英語はアメリカ英語だ)し、アラビア語の時は少しアラブ人に似た振る舞いをしているような気がする。
英語の時は相づちも陽気だし、日本語の時は決してしないジェスチャーをしているような気がする。

だが、今のところ日本語で深い話をしている時が一番素の自分でいられるような気がする。
英語圏に留学したらまた変わるのかもしれないが、今はそんな気分だ。

外国語の勉強、恩師の言葉 Sep 10, 2014

アラビア語専攻の先生から「語学とか自分でやれよ」と散々言われていたし、別の先生からはこちらに来る前に「アラビア語に関して君たちがアラビア語専攻で 学んだこと以上のことは、たとえアラブに行ったとしても学べないからね」と言われていた。日本ではそれは言いすぎやと思っていたけれども、こちらに来てよ うやくその言葉の意味を理解した。
結局、今は英語がだいたい話せるようになったけれども、振り返ってみれば受験勉強とタイの空港やクウェートで英語を使わざるを得なくなったときに英語力が向上したわけだし、それって自分で勉強したからなんだよね、ということがよくわかる。こちらでも同じやり方を踏襲するしかない。せっかくアラビア語を話さねばならない環境なのだから。

労働と生活——クウェートの労働者たち Sep 8, 2014

【追記】
All Aboutのnews dig——事情ツウたちの時事コラムに掲載されました!
クウェート留学生は考えた「なぜクウェートにはインド人労働者が多いのか?」



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クウェートに到着した朝、ひとまず寮へ向かい荷物を運び込むと、インド人女性が床をピカピカに磨き上げていた。
レセプションのアラブ人が彼女たちに指示し、掃除をしていた彼女たちが私たちの部屋に重い荷物を運び込んでくれた。

彼女たちは朝から働いている。
寮の全体を綺麗にし、寮に暮らしている私たち学生が出したゴミを全て回収し、掃除までしてくれるのだ。

私は彼女たちに挨拶するのを決して忘れないように心がけている。

寮の外でもたくさんのインド人が働いている。
寮の周囲の庭園で、男性の労働者が手入れをしていた。たぶん、バスの運転手もインド人。
大学のカフェテリアでも、インド人の労働者が男女含めて働いており、学生がお皿を席に残したまま立ち去ると、すかさずそれを回収する。
City Centerというスーパーでは、労働者が品だし・レジの仕事をしている。
レジにはそれぞれ2人以上の従業員がつき、片方がレジの仕事を、もう片方が商品を袋につめる仕事をしている。
通学のバスからは工事現場が見える。よく観察すると、灼熱の太陽の下でインド人だろうと思われる労働者が働いていた。
彼らは一体この国で何を作るのだろう。

彼らが貧困に喘いだ暮らしをしているのかと言うと、どうもそうではないように思えてならない。
仕事の内容こそ日本で言うところの「低所得者」の仕事であるかもしれないが、クウェートで男女の境界がはっきりしているように、外国人労働者、クウェート人やアラブ人、その他の外国人(ごく少数ではあるが)というふうに上手に住み分けがなされているのではないかと見ている。
それなら、みんな割り切って暮らしていると思えばとてもしっくりくる解釈にならないだろうか。

ただ、正直なところまだほとんど大学と寮の往復しかしていないので、わからないことだらけだ。
労働者の彼らがどのような生活をしているのか、なかなか見えてこない。
クウェート人が住んでいる城のような家に暮らしていないのは確かだろうが。

この国では、清掃など生活に密着した部分をほとんどが労働者の手によって行われる。
私が寮でしなければならない家事と言えば洗濯と自室の簡単な掃除くらいで、あとは彼らがすべてやってくれるのだ。
このような生活は快適であるのは間違いないが、ときどき「これくらいは自分でできるのに」と、プライドが傷ついてしまうことがある。
日本で一人暮らしをしていた頃、狭い家に住んでいたとは言え、全ての家事をこなさなければならなかった。
私だって、ゴミ出しくらいはできるのだ。

このような生活を当たり前と思わない感覚を持ち合わせている自分を誇りに思うと同時に、これまでの生活と今の生活に感謝する。

今朝、隣室の日本人と寮のカフェテリアで朝食をとりながら、アラビア語の挨拶を練習した。
朝食を終え、部屋に帰るエレベーターの中でインド人の労働者である女性に出くわし、友人がアラビア語で挨拶した。
彼女は私たちに「その挨拶はアラビア語。私はヒンディー系だ」と英語で教えてくれた。

人種や所得で優越感や劣等感を抱くことの無意味さを噛み締めた朝だった。

クウェートが好きになった話 Sep 7, 2014

先程、寮近くのスーク(規模の小さいイオンモールのような日常生活に密着したお店)で買い物したときのこと。両替所でドルをクウェートディナールに替えようとしたら、市民IDを持っていないためにパスポートとビザを渡しやきもきしていたところ、ドルの入った封筒を両替所に忘れてしまった。でも、あとから両替所の近くを通りがかった時に、私に「両替所へ来なさい」と声をかけてくれた人があり、なんとその封筒が私の手元に返ってきたのだ。
クウェートに留学していた先輩から「クウェートは裕福なので、誰も犯罪を起こす気がない」という話は聞いていたが、本当にその通りで治安の良さを実感した。ありがとうクウェート、好きだよクウェート。
裕福さ、治安の良さが反映されてか、この国は本当にのんびりしている。日本の大学(というか私の所属大学に似た形態の大学?)にありがちなどこか切迫したような雰囲気は、クウェートの大学では一切感じられない。みんなのんびりと勉強している。
それなのに、大学や街を歩く人はどうして皆一様に思い詰めたような表情をしているのだろう。ただ、気難しそうな異国人が私の目に映っているだけなのだろうか。
その点、留学に来ている台湾人や日本人はのんびりしたものだと思う。

クウェートの大学 Sep 7, 2014

あまりの疲れにすっかり眠り込んでいたらしい、気づいたら朝だった。

室内は空調が効いており、半袖だと寒いくらいだ。
窓を触った時の熱さに、外気温を感じた。

あてがわれた女子寮の部屋は、日本で住んでいたアパートよりもよっぽど広く、その広さを持て余している。
トイレと風呂は隣室の日本人と共有だが、不便さはほとんど感じない。
寮の食事は悪くはないが、あまりの脂っこさに辟易してサラダばかりを食べている。
自室の窓から私は、車間距離をギリギリに詰めクラクションを鳴らしながら走る車と、近代的なショッピングモール、豪華な家々、そしていかにも中東らしいくすんだ空気を眺めている。

アザーンの音を聞いて、自分が中東にいる自覚をする。

私たちが所属することになるLanguage CenterはShuweikhキャンパスにあるので、Kaifanの女子寮で暮らしている私たちはバスで移動する。
へジャブとアバヤを纏った女性たちと共にバスへ乗り込む。
気をつけないと違うキャンパスへ行くバスに乗ってしまう。
何度かアラブ人の学生に助けられた。

くすんだ空気と強烈な日差しだけはどこに行っても変わらない。
Shuweikhキャンパスは驚くほど広く、私の所属大学なんてちっぽけだと思ってしまうほどだった。
車社会のクウェートに合わせ、きちんと学生用の駐車場も整備してある。

ちょうどセメスターが始まる時期ということもあり、学生が溢れていた。
おそらく日本の大学での4月さながらの様子なのだろう、時間が経てば学生の数は減るだろうか。

へジャブを纏った女性たちに囲まれ身の置き所のなさを感じていたが、台湾人留学生と出会い少し不安が和らいだ。
容姿も似ており、比較的価値観の近い彼らとは分かち合いやすいものを感じる。
どうやらヨーロッパからの留学生も同じ身の置き所のなさを感じているようで、アルメニアからの3人組は肩をすぼめるように食事をしていた。
中国、台湾、そして私たち日本人に囲まれたヨーロッパ人男性の二人は、とても居心地悪そうにしていた。アラビア語は上手なのに。

日本でアラビア語を専攻していた頃、アラビア語の能力で序列をつけられるのが嫌だった。たとえ、「能力が高い」と評価されるとしても。
ここでもおそらくアラビア語の能力で評価されるだろう。
だが、そうだとしても、アラビア語の能力以外でカバーできる面はあるだろう。不思議とそんなことを思う。

寮のカフェテリアにはいろいろな国籍の学生がいる。
自国の学生と固まっている女性がほとんどだ。私たちの話す日本語もその国際性に花を添えている。

この国では男女が平等に、共に暮らしているように見えて、突然男性の場所と女性の場所がくっきり分かれている場所に出くわすので、正直なところ何度か面食らった。
大学のカフェテリアは1階が女性用、2階が男性用である。
図書館にも男子学生のための読書スペースが確保されていた。

男性の世界と女性の世界、その境界は曖昧になりつつあるのだろうか。
私たち留学生は曖昧な場所にいるのが一番居心地よく過ごせるような気がした。