なんだかうまくいかない日々をしばらく過ごしていた。
そういうとき、私はとりあえず音楽を聴けば何とかなるだろうと思っている。
他の国に留学している友達が「この料理は私にはなじみのない物だけれど、ここの人たちにとっては故郷と結びついているものなのかなぁ」と書いていた。
私に取って日本の料理やとりわけ広島のお好み焼きは故郷であったり、私の人生そのものに深く結びついているが、音楽もまた私の人生を語る上で書かせない物だ。
だから、つらい時はとりあえずたくさん音楽を聴いて、音楽と共に一つの答えを探すことにしている。
「音楽と言葉だけは裏切らない」というのが、私が21年間の人生で得てきた数少ない確信のうちの一つだ。
それで、宿題の少ない休日で、体調もそれほど良くなく予定を入れなかったのをいいことに、youtubeを駆使して音楽の記憶を辿っていた。
当初は好きなバンドの曲をひたすら聴いていたが、ネットサーフィンのようなことをしているうちにNHK朝ドラの曲を聞きたくなってしまった。
だから、検索して聴いてみた。
高校のとき、朝の7時半からNHKの朝ドラが放送されていた。
それを見終わってから学校へ行くとちょうど良かったので、母といっしょによく見ていた。
それで朝ドラの音楽を毎日聴いていたから、特に気に入っていたものの主題歌などはよく覚えている。
今でこそ、一人暮らしを始めて朝にテレビを付ける習慣がなくなってしまった(もともと朝に朝ドラ以外のテレビを見るのはきらいだった)が、こういう風に音楽が私の人生の中で密かな存在感を持ち続けているらしい。
なんとなく選んだのが「おひさま」だった。
このドラマ自体はごく地味な物だと思う。
「陽子」という女性の人生を描いた物だが、他の「あまちゃん」などに比べるとテーマ性に乏しく、ぱっとどのようなドラマなのか説明するのが難しい。
だが、私はこれが好きだった。何故好きなのか、当時はわからなかった。
今になって、私はこのドラマの中に私に欠けている物を見いだしていたのだとようやく気づいた。
その欠けている部分は今の私にとって重大な問題で、日本を離れて留学生活を送る中で改めて別の角度から向き合おうとしているものだ。
高校生の当時は、何か問題があるのだろうと漠然と考えていたけれども、何が問題なのかわからなかったしわかろうともしなかった。
「おひさま」に出てくる人物たちがあまりにもひたむきで、彼らの生活を彼らなりに精一杯行きている姿に心を打たれた。
昭和初期の田舎のことだから、今の私よりもよっぽどアクセスできる情報の数も少なくて、生きている世界も狭いことだろう。
そんな中で、愛する人と共に一生懸命生きる姿を見て、涙が止まらなかった。
「フィクションなんて」とバカにするする人もいるだろう。
しかし、フィクションだろうとなんだろうと、目に見える物語の存在が私たち自身の物語を助けていることに、なぜ気づかないのか。
私たちは物語に自分の物語を投影し、時に涙しながら生きているのだ。
そんな物語があること、そして物語と向き合う時間があることに感謝しようではないか。
「おひさま」を見ていて、このドラマは昭和初期の日本の様子を外国人の日本語学習者向けに紹介するのにいいなとか、この雰囲気はなんとなくクウェートに通じる物もあるなとか、日本にいた頃には思いもしなかったようなことを考えるようになった。
そういう物の見方をするようになったというのも私の物語の一部であり、これからきっと重要な一部になっていくのだろうけど、今はそれに戸惑いを感じているのだということもわかってきた。
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