2014ー15年度クウェート政府奨学金を受け、クウェートにてアラビア語を学んだ記録。アラビア語やクウェート生活について。
noteに投稿した記事に加筆修正を加えて掲載しています。

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2015年1月25日日曜日

友達の家へ遊びにいった感想 Jan 19, 2015

今日の感想

とても日本語が上手なシリア人の友達のお家へ遊びにいった。
思ったことのメモ書き。

◆外国語
ほんとこの子日本語うますぎでしょ。
どうしてかなぁと思ったら、よくしゃべること。
恥じらわずによくしゃべるし、わからない単語をよく尋ねているのが印象的だった。
最近は私も、英語に関しては恥じらいが消えてきたので、アラビア語もそんなかんじでいくしかだなぁと。

◆アラブのこと
シリアは分裂するかもという話。悲しい。
最近はシリアになかなか帰省できないのだと。
アラビア語を勉強するならシリアかヨルダンが一番、レバノンは微妙、エジプトは悪くない、クウェートはあんまり、とのこと。
おうちは普通のアパートの一室。クウェート人の家があまりにも大きすぎるので、このくらいが心地よい。
シリア人やエジプト人はもはやクウェート人よりも私たちに近い感覚なのでは、そんなことを思う。

◆シリア方言
ターマルブータの前のaの発音が変化。
「コーヒー」は「アフウェ」としか聞こえなかった。新鮮。

◆ゲーム
楽しい。めっちゃ踊った。

◆シリア料理
最高。
シリアは野菜がたくさんとれるので、野菜中心の料理を作るのだそう。
今日のメニューはインゲンをふんだんに使った料理でした。
おつまみ感覚でネギとピーマンを生で食べながら。
エジプトのお米は日本のお米に近い形、インドのお米は細長い。
どちらも油で炒めてから煮る。塩で味付けも。
本当においしかった。レシピは別のところにまとめる。
 
本当においしくいただきました。
料理するところまで見せていただいてしまって、本当に。

友達がわざわざ焼いてくれた。おいしかった!
 

◆今後書きたいこと・書かなければならないこと
今日の料理のレシピまとめ。
「生活すること」について。
いただいた御題の「他人」。
ペンネームで書いているエッセイ。



【追記 Jan 25, 2015 (Sun)】
邦人がシリアで拘束されたというニュース。
日本人会でも必ず話題になる。
「まぁクウェートは大丈夫だと思うけど」と在クウェートの日本人は皆口を揃えるが、本当に大丈夫かどうか、誰にもわからない。

このタイミングでこんなポストをすると、「このご時世にシリア人の家に行くなんて」と言う人もいるかもしれない。
だが、私はこの友人の家に遊びにいってゆっくり話す約束をだいぶ前からしていた。
それこそ、去年の時点で。
私はあらゆる点で彼女を尊敬しているし、信頼もしている。
クウェートに生まれシリア人の家庭で育ちながら、日本語を一生懸命に勉強し日本語でコミュニケーションをとろうとする、努力家の彼女を尊敬せずにいられるだろうか。

ものすごく月並みなことを言うが、「シリア人と関わるな」と頭ごなしに言わないでほしい。
シリア人が悪いわけではない。
それをはき違えてはならない。
私にできるのは、そのことをはっきり言うことくらいではないだろうかと、ふと思う。





2015年1月17日土曜日

クウェートの洗礼 Jan 17, 2015 (Sat)

イスタンブールに着くまではよかったのだ。

案の定、関空へ行くまでに恩師や友達から言われたことを思い出して号泣していたが、関空に着いたら無事にチェックインと出国手続きを済ませ、クウェートではお目にかかれないであろうスタバの抹茶クリームフラペチーノを飲みつつ、韓国人の友達とLINEでちょっとした話をしたり、親へ連絡したりと落ち着いた時間を過ごしていた。
イスタンブール行きの便は出発時間が少しだけ早くなっていたが、特にトラブルもなく、読書をしたり寝たりしていたらいつの間に到着していた。
実に平和な12時間だった。軽食のケーキがおいしかった。

二度目のアタテュルク空港。
4時間ほどのトランジットの間に何か食べておこうと、ドロドロに疲れきった状態で空港をさまよっていたら、クレープの店がおいしそうだったのでそこで何か買うことにした。
当たり前にザクロがあるのが中東だなぁ……とぼーっとそんなことを考えていたら、その店で無料のWi-Fiが使えるという表示が目に入り、「Wi-Fiのパスワード教えてもらえる?」と店員に尋ねてみた。店員は「ケータイ貸してよ!」と快活に言った。
空港のお店というだけあって、トルコリラ・ドル・ユーロのどれかで支払えるらしい。私はトルコリラを余らせていたのでリラで払った。ついでに、「リラ」の発音が上手にできなかったので、「リラってなんて発音するのか教えてよ」と言ってみる。店員のお兄ちゃんたちは爆笑しながら「リ・ラ」とゆっくり教えてくれた。
どこから来たの、どこへ行くのなどと彼らは尋ねるので、日本から来たよ、これからクウェートへ行くのよと答えると、「クウェートとか!!何しに行くの!!!」とさらに爆笑。
いや、ほんとそれよ。
とりあえず、「私、クウェートで勉強してるんだからね!!!」と、笑いながら答えておいた。

食事を済ませ、気が済むまでWi-Fiを使い、ゲートへ移動する。
前のオスロ便がどうも遅れているらしく、オスロ便の乗客とクウェート便の乗客が入り交じっていた。
特にすることもないので、搭乗して座席に座った瞬間に寝るぞと決意しながら本を読んでいると、オスロ便は行ってしまったというのになかなかゲートが開かない。
遅いなぁと思いゲート受付で聞いてみると、「たぶん遅れる」とのこと。

「たぶん」ってなんだよ。そんなところでクウェート感出してこなくてもいいんだよ。

そんなことを思いつつ、「これが……クウェートだ……!」としょーもないことを実感した。
クウェートへ行くというヨーロッパ人女性2人組が不安そうにしていたので、たぶん遅れると言われた、クウェートではよくあることよ、と伝えておいた。

数時間規模の遅れになったらいろいろと(寮のおばちゃんに怒られそうで)面倒なのでやきもきしたが、遅れは15分程度で収まった。
待ちながら少しだけ仮眠もとったことだし、飛行機の中では疲れきって逆にゆっくり寝る気力もなく、読書の続きをしていた。

イスタンブールからクウェートまでは5時間ほどだったと思う。
さすがに多少眠ったりもしていたら、思っていたよりも早く時間は過ぎており、読み切った小説を閉じてiPadで同じ作家(小川洋子先生)の別のエッセイを読んでいた。

そんな時だった。
飛行機が急に揺れ出した。
ベルト着用のランプは点滅し、乗務員が慌てて出てきた。
大学に入ってからは特に飛行機に乗る機会も増え、国際線にもようやく慣れ始めていたけれど、乗務員が注意を促しにくるほど揺れたのは初めてだった。
乗務員に言われるまでもなく私はもの凄い恐怖に襲われていて、これ以上揺れが続いたらパニックで過呼吸を起こしそうだった。
クウェートにたどり着けずに、こんなところで終わってたまるか、そう思いながらクウェートにたどり着くまでの何度目かの号泣。
幸い、揺れは一時的なもので収まり、飛行機は無事クウェートに到着した。
握りしめていたパスポートは手の汗で濡れていた。

クウェートって、こんなに広かったっけ?というのが、3週間ぶりに空から見たクウェートの第一印象だった。
あれほど狭くて、その狭さに辟易していたはずのクウェートがとても広く見えた。

まだまだ知らないことがたくさんあるなぁ、よし、がんばろう。

と思った矢先、クウェートのケータイが使えないわ、朝から水道が断水するわ(めったにないけど肝心な時だけに起こる断水と停電)、「これぞクウェート!」という謎現象に悩まされました。
ネットも相変わらず遅い。
つらい。

がんばろうと思った矢先に、乗り越えなければならない、壁。

カトリック教会は7つの秘跡というものを定めており、カトリック教会で信者として生を全うする者は人生の節目節目で秘跡を行わなければならない。全ての秘跡を実行しなければならないわけではない(し、実行できない場合もある)が、秘跡を受けるためにはカトリックの信者であることが第一条件だ。
その信者になるための入り口であり、キリスト教の教えにおいては「人生の入り口」でもあるものが洗礼だ。

イエスが生まれた当時のパレスチナ地域におけるヘブライ人社会で、さほど重要視されていなかった洗礼。
しかし、イエスはそれを進んで受けた。なぜ洗礼を受けるのかと問うたヨハネに対してイエスは、「今は、止めないでほしい。正しいことを全て行うのは、我々にふさわしいことです。」と答えた。(マタイによる福音書3章14~15節より)

イエスが受けた洗礼は、ヨハネのもとヨルダン川で水を被るという簡素なものだったのかもしれない。
だが、それがどういう意味を持ったのだろう。なぜ、イエスはわざわざ洗礼を受けたのだろう。
水を被るという日常的とも思える行為が、どうしてこれほど神聖なものになり得たのだろう。
そして、イエスが洗礼を受けてから彼の心のうちにどのような変化が起こったのか、「正しいこと」とは一体何なのだろう。
そんなことを考えずにはいられない。

これからのクウェート生活や、もっと長い目で見ればその後の人生をオーガナイズするのは自分自身であることを再確認する。そして、生きていく限りは「正しいこと」という実体のつかめない概念を実行したいと願う。
私は進んで洗礼を受けにいったイエスほど立派な心の持ち主ではないから、不意に飛び込んできたクウェートらしいアクシデントが私の洗礼で、洗礼が私の心を切り替え次へ進む後押しをしてくれるのだと、久々にクウェートの日差しを浴びながらそんなことを思った。

2015年1月13日火曜日

成人式に行かなかった話 Jan 13, 2015 (Tue)

私は成人式に行きませんでした。
成人式前日の同窓会だけ出席してきました。

成人式に行かなかった理由は、中高一貫校の出身なので同窓会にさえ出席すれば中学・高校の友達には会えるということ、成人式の後は大学の試験シーズンであり、失敗したら即留年の試験が控えていたこと、しかもその頃やっていた研究プロジェクトに忙殺されていたこと、「中高一貫の女子校なら成人式でのワンチャンないで」という先輩の下世話なご意見……はともかく、何よりも「振り袖で着飾って、ありがたくもない話を聞く式に出席し、キャーキャーはしゃぎながら写真を撮るのが大人になる儀式だとは思えない」という、私なりの考えがあってのことでした。
そのような忙しい時期にわざわざ新幹線で帰省し、親に手間と時間をかけさせてまで式に出席するのが一体に何になるのかと思ったのです。両親は「あら、そう」と言っていた程度。本当の心の内はわかりませんが、私の決断はこのように丸くおさまりました。

その後、なんとか進級し、成人式前のプロジェクトも無事終了し、バタバタしながらもなんとか留学へ行ってしまったためそのことはすっかり忘れていましたが、留学中の身でありながら成人式の時期に日本に滞在することとなり、振り袖姿の女の子たちを見ていろいろと思うことはあります。
が、一番は「別に良かったんじゃない?」ということ。強がりでなく、そう思うのです。

クウェートの冬休み期間中には一時帰国しました。
クリスマスの時期に日本に到着し、コンビニへ寄った時に「あ、年賀状はどうするんだっけ」と急に気づきました。大学へ入ってからというもの、すっかり年賀状を出す枚数は減ってしまいましたが、「あ、そういえば今年は喪中だった」と思い出しました。喪中だから、出さなくて良いんだった、と。
高校の頃までは普通に守っていた「年賀状を出す」という日本の文化ですが、大学に入ってからなぜしなくなってしまったのでしょう。住所が変わっていろいろと面倒になったとか、年賀状の必要性を感じなくなったとか、いろいろあるのかもしれませんが、私は「年賀状を出さない」という選択を無意識のうちにしていました。

ところが今年は、「なんとなく年賀状を出さない」という去年までとは違い、「喪中だから年賀状を出さない」という選択をすることになりました。海外で揉まれて、なんとなく日本の伝統を守って年賀状を出したかったけれど、喪中という日本の伝統を守って年賀状を出さないことになったのです。

成人式だって、ある意味日本の伝統文化みたいなものです。留学先のクウェートの伝統を守った生活をしていれば、似たような儀式はあるかもしれないけれど、20歳になる年に振りそでを着ることはないでしょう。
逆に言えば、伝統なんてそんなもので、成人式に出なかったからと言って別に死ぬわけでも何でもありません。

日本人としてのアイデンティティーを持ち、基本的には日本の文化に沿って生活していると言っても、クウェートに暮らす限りはクウェートの文化に沿った振る舞いをすることだって、もちろんあります。
私はこの前、イスラーム教徒の女性が髪の毛を隠すために身につけるヒジャーブというスカーフを被り、クウェートの伝統的な市場へ買い物へ行きました。クウェートの寮のおばちゃんたちはいつもヒジャーブを身につけない私がヒジャーブを被っていることを手放しで喜んでくれ、「きれいね!いいわよ!」と言ってくれました。
ですが、もし私が梅田でヒジャーブをして普通に買い物をしていたら、間違いなく好奇の目にさらされますし、もしかしたら変人扱いされるかもしれませんし、この前パリで襲撃事件もありましたし、最悪の場合、警察に目をつけられるかもしれません。

補足しておくと、ヒジャーブは宗教的なニュアンスもありますが、イスラーム世界ではどちらかというと宗教的なニュアンスよりも文化としての性質の方が大きいものです。その証拠に、私がムスリムでないことを知っている寮のおばちゃんたちは、私がヒジャーブをしていることを喜んでくれました。ヒジャーブを被るという行為は、地域の文化に馴染もうとする行為でもあるからです。

文化って、そんなものなんだなぁ、と思います。
文化に基づいた行動をするかしないかは、私次第です。
成人式に行かなかったのは私が現代の成人式に意味を見いだせなかったから、今年年賀状を出さなかったのは日本の文化に沿った選択をしたから、時々クウェートでヒジャーブを被るのは、ヒジャーブをしている方が当地に馴染むことが出来、外国人(=金づる)として扱われにくくなるから。
行動は自分次第で、文化を守るか守らないかは私が選択します。

ただし、選択をする前に一度「なぜそうするか」を考えてみてもよいのではと思います。
むしろ、ちゃんと考える方が「かっこいい」気もします。
毎年この時期はFacebookに成人式の振り袖写真が溢れますが、見る側にしてみれば「かわいいなぁ」くらいにしか思わないものです。
それならば、何らかの考えを持ってその被写体の一部となる人間の方が、何も考えずに振り袖写真を垂れ流し(され)て「成人式楽しかったんだね(笑)」となるよりは、よっぽど大人として信頼できます。
もちろん、納税しないとか強盗するとか、義務に反する行為や反社会的な行為、犯罪などはどんなにポリシーがあったところで許されるものではありませんが。

そう考えてみると、かつて自分なりの意見を持って成人式へ行かない選択をした自分が、なんだかかっこよく見えてきました。

海外で生活していると、自分が何を考えどう行動するかが、日本にいるとき以上に問われます。
日本では考えもしなかったようなことを考えなければならなくなります。
これまでの留学生活を思い返してみても、考えて選択するのがつらくて、周囲に合わせるだけにしてしまったことが何度もありました。同じようなことがきっとこれからもあるでしょう。
そんな時、クウェートでへこたれそうな近い未来の自分がこの文章を見返して、勇気づけられますように。

日本で日々の諸々に忙殺されていると、考えることを怠ってしまうのはよくわかります。ですが、たまに「なぜそうするか」を考えてみませんか。
私が成人式へ行かなかった理由について、「合理的に考えすぎている」「親に晴れ姿を見せないのか」と非難されてもおかしくありません。
ですが、私は私なりにきちんと考えました。
きちんと考えた上での行動ですから、誰に誹謗中傷されたところで動じることはありません。

流されず、考えて行動すること。
こうする人が増えたら、日本の未来はもっと明るくなるのかなぁと、そんなことも思います。
結局言いたいことはシンプルです。
「よく考え、信念を持て。」

9月にクウェートへ飛び立って以来、久々に帰ってきた日本は相変わらず素敵な場所でした。
日本って、本当にいいところだと思うのです。選挙の制度がきちんとあって、選挙権が平等に与えられ、自分の国の未来を選ぶことが出来るなんて。それに、日本は賄賂やコネがきちんと批判される社会です。このように公正な国は決して多くないということを、私はクウェートで知りました。

今度帰ってくる日本は素敵な場所であってほしいし、日本を愛せる自分でいたいと思います。
行動は選択できると先程言い切りましたが、自分の選択する行動が自分や周囲の人間、はたまた自分の国の未来を左右するということに自覚的でいなければと自戒します。

成人式から1年経って、留学中なのになぜか地元の広島にいる私の思いがこれです。
新成人の皆様、おめでとうございます。
そして、私たちの手に委ねられている日本の未来に幸あれ!
 
 
(ブログではきちんとご報告しておりませんでしたが、冬休み中、日本に一時帰国していました。その雑感をまとめてみた次第です。)



2014年12月20日土曜日

普段へジャブをしない私たちがへジャブを身につけてクウェートの街に出たらどうなるか Dec 20, 2014

それは私のちょっとした思いつきから始まった。

知人の日本人女性から、「へジャブをしているとボラれにくい」という話を聞いた。
どうもアジア人女性は舐められやすいらしく、市場で買い物をしていると不当に高い金を払わせようとしてくる人たちにしょっちゅう出会うのだが、へジャブをしているとどうやらその確率が下がるらしい。

というわけで、試験がようやく終わったルームメイト(日本人)と検証に行ってきた。
夕方に買い物へ行こうという話はもともとしていたので、なんならへジャブしていってみよう!ということだ。
彼女も同様、普段へジャブは身につけない。

行き先は、クウェート最大の市場「スーク・ムバラキーヤ」である。

ここで、「へジャブって何?」という方のために説明しておきたい。
へジャブとは、ムスリム女性が髪の毛を隠すために頭に被る布のことである。

日本人でムスリムではない私がへジャブを身につけたら、こうなった。



完全に瀬戸内寂聴だ。(スーク・ムバラキーヤにて撮影)

部屋でワイワイ言いながらへジャブを身につけた後、寮を出ようとしたら受付のおばちゃんたち(美人・おそらくエジプト人)に声をかけられる。
「きれいねー!いいわね!」とめちゃくちゃ褒められた。
友人はへジャブを上手に身につけられていなかったので、おばちゃんに綺麗に整えてもらった。
さすがはムスリマ、へジャブのプロである。

タクシーで行こうと思っていたが、ムバラキーヤ方面のバスが来たのでバスに乗車。
クウェート大学の学生は無料でバスに乗れるのでラッキー。
ただ、バス内の治安はあまり良くなさそうなので、女性は特に複数で乗るのがベターです。

無事にムバラキーヤ到着。
とりあえず、第一の目的である両替所へ向かう。
スーク・ムバラキーヤの両替所は身分証明書なしで両替ができるのと、他の両替所よりも若干レートが良いのでよく利用する。

両替所へ向かう途中、なんだかいつもよりも声をかけられる!?
普段へジャブをしていなくても声はかけられますが……。

一番レートの良い両替所を探し、ワイワイいいながら両替してもらう。
今回の両替所のおじさんはイラン人でした。

両替が終わり、ご飯を食べて何となく買い物をして帰ろうか〜と言うことで、何となく歩いてみた。
クウェートで売っているへジャブやスカーフ・ショールの類いは比較的安価で質もよく、デザインもよいので、そういう店をめぐっていたら、へジャブのお店にたどり着く。

値段は1KD~2KDだった。装飾がつくと高くなるらしい。
長居していろいろ見せてもらったけれど、私はラメ入り素材の黒いへジャブが気に入ったので、購入しました。
自分用に1枚、お土産用に1枚。合計で3KDだったけれど、「2.5KDでいい?」と尋ねて特別にこの値段でOKとのこと。
値切りに成功した。

第一の調査目的である「へジャブをしていると本当にボラれないのか」である。
私たちが長居している間、クウェート人女性が買い物に来た。
聞き耳を立てていると、店員が彼女に提示した値段は私たちに提示した値段と同じであった。
どうやらボラれていないようだ。

あとは普段と同じ調子で買い物ができたので、割愛。
印象的だったのは、インド人と思しきおじさんに「ディスカウント!!!」と叫ばれたことくらいだろうか。
「いっぱい値引いてくれる?後で行くわ!」と答えたが、行きませんでした。すみません。

各々好きな物を買い、帰りはタクシーにて。
今日のタクシードライバーは陽気なパキスタン人だった。
彼の英語は非常に訛りがキツく聞き取りにくかったが、私たちが日本人だとわかると「日本の車、最高!スズキ!あなたたち友達!」と嬉しそうだったので良いことにする。

彼から「あなたたちはムスリムなの?」と尋ねられた。
私はどう答えようか一瞬悩み、「違うよ。試してみてるだけよ。」と答えることにした。
彼は「え、そうなの?まぁいいじゃん!綺麗綺麗!」というようなことを言っていた。

今日、一番興味深かったのは寮のおばちゃんたちの反応だ。
彼女たちは私が普段へジャブをしないことを知っている。
彼女たちが何と言うか少々心配だったが、手放しで褒めてくれたのが嬉しくもあった。
私たちがこちらの文化に馴染もうとしているように写ったのだろうか。

まぁ、何はともあれ、楽しいひとときだった。
今後はオシャレへジャブ、ワンチャンありそうです。

2014年12月4日木曜日

3ヶ月に寄せて Dec 4, 2014

バスから、雨上がりの虹
 
 
ここ最近ずっと、「もう少しでクウェート滞在3ヶ月だから」と、3ヶ月という数字を心の支えにしていたのはなぜだろう。
忙しかったりアラビア語が思うように話せなかったりもどかしい日々の中、3ヶ月経ったら何かが得られるような、満たされるような、そんな気がしていた。

そんな風に過ごしていたら、そろそろ3ヶ月経ってしまうという時期になっていた。
正確な日付ではないが、書きたいと思う気持ちがあるうちに「3ヶ月の思い」を書いておこうと思う。

「3ヶ月」という数字が印象に残っているのは、留学する1年ほど前に大学で参加した国際交流の勉強会での出来事が大きかったのだと思う。
留学生だったか院生だったか忘れてしまったが、「あなたは海外で同じ場所に続けて3ヶ月以上滞在したことがありますか?」と全体に質問を投げかけている人がいた。
長いこと留学して豊富な海外経験を積んでいる彼女なりに、国際交流に関して思うことがあり、伝えたいこともあったのだろう。
留学するかどうか自体を検討している途中だった私にとって、とても印象的な言葉だった。

クウェートに来て3ヶ月経った今、ようやく地に足がついている実感が出てきた。
今、私はクウェートにいるのだという事実を受け入れられるようになったのも実は最近だし、こちらの常識に身体を馴染ませながら生きられるようになったのも本当に最近のこと。
それまでは急に「どうして私はここにいるのか?」などという無意味な自問自答を始めることもあり、本当に苦痛だった。

一言で言ってしまえば「慣れた」のだろうが、「慣れていない」と「慣れた」の間には大きな差があるし、そのどちらが良いとも言い切れる物ではないと思う。

慣れるにつれ、一つ一つの動作を考えてする必要もなくなったし、言葉の不安もなくなった。
知り合いや友達が増え、頼れる人もできて、生活のリズムもつかめてきた。
これらは間違いなく良い変化だ。

一方で、クウェート社会の良くない点や、こちらでは当たり前のことでも私にとっては決して快く思われない習慣が目について、こういった点は本当に嫌いだと思うようになった。
日本では中流階級の庶民として暮らしてきた私が、お金持ちがデフォルトのクウェートで矛盾を感じたり、嫌な思いをしないはずがないと、頭ではわかっている。
それなのに、こんな風に思っていていいのか、私は望んでここに来たはずなのに、といつも思っている。
そして、「そんなことないよ、大丈夫だよ」と励まされたい気持ちが存在しているのも事実だ。

クウェートの価値観が少しずつ私の中にも染み込んでいる。
その最たる物が「インド人」で、クウェートでインド人と言えば出稼ぎ労働者。
お手伝いさんだったり清掃だったり、ブルーカラーの仕事を担うのが彼らで、どうしても私の意に反して「クウェート人より一段階下の階級」に見えてしまう。
良くないとは思っているけれど、それが徐々に当たり前になりつつあって、たまにインドに留学している友達がSNSで書いているものを見ると、はっとすることがある。

多少のトラブルではへこたれなくなった。
しかし、言葉を尽くしても語りがたい気持ちの面でのもやもやが溜まりに溜まっている。
それで、なんだか疲れてしまったから、リフレッシュしたいという気持ちが否めない。

あと2週間ほどで今学期が終わる。
なんとか乗り切ろう、そう自分に言い聞かせている。

2014年11月26日水曜日

少しだけ壁を乗り越えた話 Nov 25, 2014

日本から手紙が届いていたり、友達が話を聞いてくれたり、いろいろなことがあった一日だったけれど、今日の一番嬉しかった話を。

「短めの新聞記事を読んで、それについて記述する」という課題が出た。
アラビア語で読まなければならないので読みやすそうなテーマの物を探していたら、何となく目についたのがアルジャジーラの記事。
「エジプト大統領シーシがパレスチナ支援軍派遣の準備が整ったと発言した」という趣旨だった。
しっかり記事の内容を理解しておかないとまず文章は書けないし、第一授業でどうなるか怖いので、とりあえず訳した。
これは少々の難がありつつも一応クリア。

いざ、自分の意見を書こうとしたときである。
そこで私はようやく気づいた。この記事を選んだということは、クラスメートの前でパレスチナ問題について何らかの意見を述べなければならないということだ……

先生はアラブ人だし、クラスメートの中には敬虔なムスリムもいる。
そういう人たちの前で、私はどんな言葉を選んで、どんなことを言えばいいのだろう。
知らず知らずのうちにその人たちの気持ちを傷つけたりしないだろうか。
日本では、パレスチナ問題についていくらでも意見を言えた。
だが、ここでは円滑な人間関係を築くために、言わない方がいいこともある。そんなこと、私にだってわかっている。

イスラエルを擁護するような意見を書く必要のない記事だったのも幸いして(もっともガザ攻撃以来、私がここ最近のイスラエルを擁護するような気持ちになったことはないが)、とりあえず宿題の文章は完成した。
でも、やっぱり不安だったので、先生に一言相談することにした。

授業が終わってから先生に声をかけた。
いつもはアラビア語で話すけれど、込み入った私の気持ちをアラビア語で説明するのは難しかったので、「英語で話してもいいですか」と断って、自分の気持ちを話した。

私はパレスチナ問題に関する記事を選んだ。
もちろんパレスチナ問題がアラブ世界において重大な問題であることは理解している。
もしかしたら、私の文章の中に不適切な発言があるかもしれない。
だが、私は自分の考えを正直に書いたし、アラブの人々を傷つけるような意図は断じてない。

先生は「パレスチナ問題か、いいね」とおっしゃって、私の話を聞いた後、「大丈夫だよ、これは語学の勉強だから、思ったことを書けばいいよ。そんな風に思ったりしないから。じゃあ、ここからはアラビア語で話そうか。」
そう言って、アラビア語でもう一度同じことを繰り返した。
私はありがとうございますと伝え、冬休みの話を少しして、教室を出た。
先生は、あなたに良いことがありますようにという挨拶を私にしてくださった。

日本では、アラブでパレスチナの話は避けた方がいいと言われたこともあった。全く持って納得できる意見だ。
下手なことを言ってしまうと、ものすごいバッシングを受けることになる。バッシングをする側も、間違いなく傷つく。
それほどセンシティブな話題だし、なぜパレスチナ問題に関する記事を選んでしまったのか、今思えばその時の自分は冷静さに欠けている。

だが、そんな風に避け続けてもいられないのかもしれない。
今日、不意にそういう時が来てしまった。

それをこういうふうに受け止めてもらえたことに、本当に感謝している。
出来の悪い学生にもいつも平等に接してくださって、全員が理解するまでゆっくりと説明してくださるこの先生のことが私は本当に好きだ。
だが、それ以上に、「アラブ人のアラビア語の先生」として見ていた彼に私のこう言った気持ちを伝え、彼からそれに対する言葉をかけてもらったことで、何となく壁を感じていた「異文化」なるものと初めてつながることができたような気がして、なんだか安心してしまった。
後になってから、そんなことを思って涙が止まらなかった。

「私はあなたの気持ちを傷つけようだなんて決して思わない。その上で、私の考えを素直に話します。」
そう伝えた上で話せば、きっと壁も乗り越えて行ける。
私たちは、境界を越えているように見えても、乗り越えられない壁を心のうちに抱えてはいないだろうか。

日本にいたとき、アラブ世界は3人称だったが、クウェートにいる今、アラブ世界は2人称だ。
私はアラブに「あなた」と呼びかけ、対話する。

だからこそ、アラビア語でそういう風に言えるようにならなければと思う。
そして、そういうことが出来る人間でありたいと思う。
幸か不幸か、私が選んだのはアラビア語だから、「日本人」という生まれ持った性質とともにこの能力を生かすことの出来るような人間でありたいと、そう願っている。

2014年11月24日月曜日

銀行口座の開設 Nov 24, 2014 (Mon)

市民IDをなんとか取得したので、次は銀行口座を開設せねばならない。
大学からの奨学金(もといお小遣い)は口座振り込みになるとのことなので、ランゲージ・センターの先生から「なるべく早く口座を開設して番号を知らせろ」と急かされている。

余談だが、私が受給しているのは「クウェート政府奨学金」であり、奨学金の出所は「クウェート政府」である。
それなのになぜ「大学からの奨学金」と表現できるかと言うと、この国の豊かな財源によりクウェート大学は運営されており、一般の学生も学費は無料であるからだ。
大学の財源イコール政府の財源なのである。さすがレンティア国家だ。

というわけで、私は「今週は忙しいしまぁ、まだ、いいや……」と思っていたら、急に隣室の日本人が作りに行くと言い始めて、ついて行くことにした。

寮の受付でおすすめの銀行を3つほど教えてもらい、バスを出してもらって(そのあたり本当に至れり尽くせりだと思う)いざ銀行へ。
最初に連れて行かれた銀行は寮から徒歩5分ほどで、「いやそれくらい歩けよ」と例のごとく思ったが、入ってみると「100KD(約4万円)必要です」と言われたので、断念して別の銀行へ。
バスを10分ほど走らせ、いつも行くスーパーのあるケイファーン・ジャムイーヤというちょっとしたショッピングセンターへ。

クウェートにももちろんいくつか有名な銀行があり、代表はクウェート・ナショナル・バンク(NBK)だが、今回は外国人も口座の開設がしやすいというクウェート・フィナンシャル・ハウス(KFH)で口座を作ることにした。
これら2つの銀行は、ジャムイーヤの中で隣り合っていた。

銀行も男性専用のフロアと女性専用のフロアに分かれていた。
私たちは女性専用のフロアへ。
かなり長いこと待たされてしまったが、その間アラビック・コーヒーとチョコレートをいただいた。

女性専用のフロアの従業員はもちろん女性だけだ。
KFHのケイファーン支店はとても豪華で、雰囲気は日本で一度だけ訪れた新生銀行のようだった。

口座開設については英語で説明してもらった。
クウェートは英語が通じるのが本当にありがたい。英語の書類も準備されていたようだった。
「グローバル化」に必要なのはこういうところだと思う。英語が通じるのはクウェートの長所だ。この点に関しては日本も見習うべきではなかろうか。

奨学金受給を目的に口座を作ることを伝えると、学生証と市民IDを提示するように言われ、必要書類に署名をし、引き下ろしやネットバンキングの説明を受けて終了。必要経費は10KDで、そのうち5KDは口座に振り込まれるとのことだった。
日本でもネットバンキングは使っていなかったしクレジットカードは別に持っているので、今回はそのサービスは付けなかった。

クウェートの至る所に様々な銀行の小さなATMが設置されているが、違う銀行のATMでも0.5KDの手数料を払えば引き下ろしが可能だそうだ。
なかなか良い仕組みだ。

カードなどの受け取りは数日後。